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2005.01.12[水]更新
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愛車遍歴
愛車 No.05
Alfa Romeo アルフェッタ セダン
〜 最も愛したクルマ 〜
Alfa Romeo Alfetta - アルファロメオ アルフェッタ セダン - DoromPATIO
1978年某月某日・富士急ハイランド駐車場にて

筆者、個人としては、それまで乗っていたシビックには何の不満もなかった。しかし、うちの親としては家族で食事に行くときなどに小さすぎると言うか車格的に問題があると感じていたらしい。確かにホテルに食事に行くにはちょいとチープである。
そんな時期にうちの親がフランス出張から帰るなり「シトロエンの新型はかっこいいなぁ」と言い出した。CXである。確かに当時としては画期的に格好良かった。まるで未来から来たクルマのようなデザインであった。しかし、シトロエンCXは筆者の好みではない。オートルートをしゅるしゅると走るには良いが、箱根の山道をぐりぐりかっ飛ばす車じゃない。しかし、親が外車を買う気になっているのであれば、それに乗じない手はない♪ この当時、走り屋が好む外車はBMW2002tiiかアルフェッタであった。しかし2002tiiはエアコンが付かないし左ハンドルしかない。為替の関係でBMWの方が割高でもある。そして、当時カーグラの小林彰太郎編集長がアルフェッタを買ったばかりであった。
かくてシビックからいきなりアルフェッタと言うことになった。そこで碑文谷の伊藤忠に行った。当時は伊藤忠がアルファロメオの総代理店だったのである。シビックで乗り付けた。受け付けカウンターでカタログを下さいと言ったら、店長らしき男性が「申し訳ありませんが云々」とお茶を濁してカタログを渡そうとしない。当時のお高く止まった外車ディーラー的には、シビックで乗り付けた若造がアルフェッタを買うとは思えなかったわけだ。
だから「買いに来たんですけど」と言うといきなり態度一変。椅子を勧められ珈琲が出てきた。馬鹿か。こう言う態度だから数年後に代理権を手放すことになるのだ。さて。数週間後アルフェッタがやって来た。
1週間後に1500km点検に出したときの修繕箇所はメモにして20数項目。流石はイタリア車。目茶苦茶である。エアコンから水は漏るし、スピードメーターは動かなくなるしってな具合。
しかし走りの次元は当時の国産車とは桁違いだった。スピードメーターは右ハンドルの関係でベースが英国仕様車であるから、外側がマイル表示で内側に小さくkm/h表示。しかしマイル表示でちょうど良い。つまり60%増しと言うこと。トランスアクスルレイアウト(エンジンは前、ミッションとデフは後ろ)とドディオン・リアアクスルによるステアリング特性は本当のニュートラルステア。今までのクルマとは違う次元のコーナリングが簡単に楽しめる。エンジンは設計が古いから5800回転までしか回らないが、なんと言っても音が良い。アルファ独特のぶろろろろ → くぅおぉぉぉ〜〜ん!なのであるのであるのである。
この当時のスカイラインのカタログに「今度のスカイラインは音にも徹底的にこだわりました。世界中の名車の排気音を分析し云々」と言う馬鹿丸出しの下りがある。排気音は感性の世界である。スペクトラムアナライザーで分析したって良い音なんかにはならないのである。桜井慎一郎は、そして日産は結局、クルマのことは何も分かっていなかったのである。ついでに言うと、この頃のトヨタ・セリカは事実上アルファロメオのコピーであった。ミッド&ロー、直列4気筒のツインカム・エンジン、リアはリジッドアクセル、つまり2000GTヴェローチェそのまんまなのである。で、たまたまこの時期に知り合いが二代目のセリカに乗っていたので試乗したことがあるが、似て非なるものとはこれか!!と納得したものである。とにかく、当時の国産車はまだまだカーグラの主張が正しいほどに遅れていたのである。
Alfa Romeo Alfetta - アルファロメオ アルフェッタ セダン - DoromPATIO
Alfa Romeo Alfetta - アルファロメオ アルフェッタ セダン - DoromPATIO
飛騨高山方面ドライブ
1975.07.28〜30

アルフェッタで驚いたのは足元ヒーターが運転席と助手席で別々に温度調整できることだった。運転中、ドライバーは熱くなりがちと言う本質を実に良く分かっているわけだ。決して高級なクルマではないのに、こう言う点はちゃんと手間を掛けているのである。
それなのにガソリンスタンドで水平方向に外から三角窓付近にホースで水を掛けると平気で室内に漏れちゃうとか、塗装が酷くて全塗装を2回もやり直したとか、妙な点は全くイタリア車だった。アルフェッタの純正のシガーライターはセンターコンソールに垂直に取り付けられており、そこに煙草を上から差し込んで、周りのノブを押し込むと数秒で火のついた煙草がぴょこっと飛び出すという仕掛けだった。高速運転中に重宝するのだが構造上、内部にカーボンが溜まる。そしていつかニクロム線が切れてしまう。いつもの整備工場で伊藤忠に部品取り寄せを依頼したら、なな何と価格が5万円で納期が4ヶ月!!
当時、セドリック用のシガーライターの価格が3,000円で即納であった。しかしこだわっちゃってアルファ純正のシガーライターを注文した。
その1年後、またニクロム線が切れた。当然のように今度はセドリック用にした。それっきり二度とニクロム線が切れなかったのは言うまでもない。ある土砂降りの日。筆者は第三京浜を走っていた。アルフェッタのエアコンは日本に来てから助手席下に取り付けた汎用型だったので効きが悪い。だから雨の日は多少、運転席側の窓を開けて走るのが常だった。
それでも窓が曇るのでウインドウ・レギュレータ(パワーウインドウではない)をもう少し回して…と思ったら動かない。あれっと思ってガラス窓の上を手で下に少し押した。動かない。もうちょっと押した。するとガタッと言う音と共に一番下まで下がってしまった。ハンドルは空回りして全く手応えがない。つまり窓は開きっぱなしになってしまったのである。そして土砂降りである。
と言うわけで車内は水浸しになったのだが、後で分かったことはアルファのウインドウはギアではなくチェーンで作動し、これが錆びて切れてしまったことが原因だった。このチェーンはアルフェッタに乗っていた4年半で都合2回切れた。結局、その4年半で修理代は車両購入価格を越した。
しかし走行に直接関係のある部分、つまりエンジンやミッション、サスペンションは全く壊れなかった。但しトーション・バー式のフロント・サスペンションは前輪をちょっとでも縁石に当てたりすると、たちまちアライメントが狂うという非常にデリケートな面を持っていたが。
またクラッチはシビックに乗っていた友人がブレーキと間違えたと言うぐらいに重かった。この頃、筆者の左足の太腿は明らかに右足の太腿より太かった。しかし慣れというのは恐ろしいもので、渋滞でも別に気にはならなかったが。なお購入2年目にショックアブソーバーをKONIスペシャルDに、ホイールを当時人気のあったFPSに交換した。FPSはアルフェッタ用が無くてVW用を無理矢理取り付けた。その関係から、オフセットが合わず上の写真のような極端なワイドトレッドになって結果的に迫力が増して大正解。一度、街頭車検でひっかかったのだが外車と言うことでお咎め無しだった。アルフェッタはロットによってキャブレターのメーカーが違った。運が悪いとデロルトになるのだが、筆者の場合は運良くウエーバーだった。いわゆる「マニア垂涎!憧れのウエーバー・ダウンドラフト・ツイン・キャブ」である。このウエーバー君を整備工場で、当時の排ガス基準に適合させるように調整するとまるで調子が悪くなるのだった。アイドリングは不安定となり、高回転の伸びも削がれてしまうのだ。排ガス値を無視すると俄然調子が良くなった。だから整備の後は必ず帰宅してから自分で再調整したものだったが、排ガス関係の街頭車検も、当時は「外車ですから」の一言でフリーパスだった。
エンジン系で変わっていたのはハンド・チョークの他にハンド・スロットルが付いていることだったが、夏場はこれを微妙に調整してアイドリングを少し高くしてやらないとエアコンの負荷でエンスト気味になるので重宝した。
冬場にハンド・チョークを引きすぎると、プラグが被って再始動が困難になるのでコツが必要だったし、その場合は目が痛くなるほどの生ガス(不完全燃焼と言うよりは気化したガソリンそのもの)が排気管から出るのだった。お蔭で、当時の我が家のガレージの奥の白い壁は見る間に真っ黒になったのだった。他のクルマでこう言うことになったことはない。エンジンと言えば冷却系はキャパが足りなかった。オールシーズン・タイプのクーラントだと駄目なので、夏場は冷却水を完全に入れ替えて「ただの水+防錆剤」だけにして、さらにサーモスタットをユニットごと外さないとオーバーヒート気味だった。逆に冬場は寒冷地仕様のクーラントでもオーバークール気味で、スキーの往復などではラジエータの前半分を段ボールで覆わないとヒーターが効かないのだった。アルフェッタで卒業記念旅行に行ったときは、その高速巡航性能に感動した。夕方、東京を出発。翌朝は鳥取砂丘。米子で一泊してから秋芳洞 → 関門大橋 → 北九州 → 大分県中津(福澤先生の墓参り) → フェリー → 四国は八幡浜に一泊 → 松山城、金比羅様見学 → フェリー → 淡路島 → フェリー → 神戸 → 鈴鹿サーキット → 東京。2泊3日で2,500kmである。ひたすら走っていたのではなく、ちゃんと観光もしていたのだから、アルフェッタの高速巡航性能の証明が出来た。当時は中国自動車道も九州縦貫道も無かったのである。
Alfa Romeo Alfetta - アルファロメオ アルフェッタ セダン - DoromPATIO
関門大橋を渡って九州の地へ
1975.08.04〜08

スキーにも良く行った。大学時代のベースキャンプは志賀高原一ノ瀬スキー場。当時の道路事情だと普通は片道6〜8時間は掛かるがアルフェッタの抜群の操縦性は雪道でも極めてコントローラブルであり、4時間半ぐらいで楽勝だった。一度、冗談で一ノ瀬から奥志賀高原へ行く道でチェーンを装着した状態でスピードメーターの読みで140km/hまで出したことがある。当然、駆動輪は空転しているから実速は100km/hぐらいだろうが、まるで雪中ラリーのようで気持ちよかった。しかし、この時に助手席に座っていた不運な友人は泣き叫んでいたが。それにしても、今から考えれば、良くブレーキパイプなどを折損切断しなかったものである。大学を卒業してレナウンに入ってからも、本当は禁止されていたのだが、結構、自動車通勤をしていた。原宿から横浜高島屋まで、先輩の仕事で、その先輩のBMW2002tiiと2台で第三京浜を全開で飛ばして緊急納品をしたなんて事もあった。
社会人になって1年半ぐらいで、いよいよ修理代が嵩み始めたのでアルフェッタはクルマ好きの大学の後輩に安価で譲った。そして、そろそろカーキチ三昧はやめようと思い始めた。
Alfa Romeo Alfetta - アルファロメオ アルフェッタ セダン - DoromPATIO
1977年夏・軽井沢にて

Alfa Romeo
Alfa Romeo Official Site (English)
http://www.alfaromeo.co.uk/
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