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2000.09.16[土]更新
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日々雑感 - DoromPATIO
■ 百貨店と民度の相関
2ヶ月前に百貨店の悪口を書いていたらそごうが倒産。その後も架空取引だ、西武で冷や飯を食っていた筈の人間が次期社長含みで特別顧問として乗り込んだ、有楽町店の閉店セールを延長だと騒がしい。どっちにしろ、柳の下に泥鰌が百匹は無理なんだから、百貨店は大いに淘汰されればよい。量販店も同じである。
ところで。
世界最初の百貨店は(何百年前かは知らないが)パリにオープンしたボンマルシェ百貨店であるが、もちろん、今やそれは存在しない。日本を除く海外の有名な総合型の百貨店で今でも残っているのはイギリスと言うかロンドンのハロッズだが、これもダイアナの親父のアラファイド氏(つまりアラブ石油資本)に買収されて久しい。一昔前、世界一の百貨店と言えばアメリカのメーシーだったが、とっくにコングロマリットに買収されて昔の面影はなく、良くも悪くも大衆向けの百貨店となっている。これ以外にアメリカで残っているのは、いわゆる高級デパートのニーマン・マーカス、サックス(フィフス・アベニュー)、ブルーミング・デールだが、どれも規模は小さいし、既に全てどこかの大企業のグループの資本となっている。後はパリのプランタンだが、これもたいしたもんじゃない。
つまり、日本を除く先進国全てで百貨店はとっくの昔に寿命を終えている。そして、遅ればせながら、やっと我が国でも淘汰の時代が迫ってきたと言うことである。
しかし目をアジアに転じれば、例えば台湾に7店舗ある三越(全て台湾資本。三越はノウ・ハウ協力+ブランド貸し)は全店舗が極めて好調で売上も利益も素晴らしいし、香港や中国本土の百貨店も(過剰投資ワンマン放漫経営でずっこけたヤオハンを除けば)数字は良いらしい。
と言うことはつまり、百貨店という業態は国民の民度が低いうちは繁盛するが、民度=文化・文明レベル=がある程度以上に発達すると必然性を失う業種であると推論できる。このことは消費者の消費行動を考えれば当たり前のことである。民度が低いと言うことはつまり、消費者が情報を持っていないと言うことである。情報がなければ自ら商品を選択することが出来ない。本当に民度が低ければ、それ以前に世の中に何があるのかを知らない。太平洋戦争前、あるいは直後の日本を考えてみよう。当時の日本人一般庶民は海外旅行なんてしなかったし世の中にLouis Vuittonなどのブランドがあることも知らなかったし、そもそも農耕民族である日本人は日常的に自動車で移動するなんて概念も勿論、皆無だった。
このような人達にとって見れば日本橋三越などの有名百貨店は「今を集めた博物館」みたいなもんだったに違いない。少なくとも、そう言う部分があったことだけは確かである。しかも、その屋上には立派な遊園地があり(言うまでもないが、当時、東京ディズニーランドは存在しない)大食堂には当時の一般庶民が日常的には家庭で食さないような世界中の料理があり、おまけに今の子供にとってのマクドナルドの100倍以上インパクトのあるお子さまランチもあった。だから昔の人は百貨店に行けば流行が分かったし海外の事情も分かったし子供も喜んだから百貨店に出かけるのは立派な家族イベントであり、ちゃんとおめかしをして出かけたのである。
今でも50代後半以上の人が百貨店に行くのは、ずっと百貨店を中心に買い物をしてきた慣れと同時に、百貨店に対する安心感・信頼感が抜群に高いからだと思う。だから未だに電気製品ですら百貨店で注文する年輩者がいるわけである。我々の常識からすれば、百貨店の仕入れより秋葉原の実売価格の方が安いものであってもである。 それでは民度が上がるとどうなるか?
但しここで言う民度は必ずしも文化レベルを意味しない。頭空っぽのおね〜ちゃんおに〜ちゃんであっても当たり前に海外旅行経験がありファッション情報などを四六時中収集していることを民度が高いと言い換えているだけである。
しかしとにかく、そう言う意味での民度が上がれば、百貨店は現代の博物館ではなくなるし、一昔前に流行った情報発信基地と言う言葉の具現者たりえない。
となれば、ある年代から下にとっては百貨店は必然性を失うのは当然である。最初から情報感度の高い(本当の意味で民度の高い)人にとってはもちろんのことである。両者の構成比が上がれば百貨店商売は成り立たなくなる。
そう言う時代になれば、基本的には「高いが良いもの」「安いが悪くないもの」を自分で選べる人が増えるわけだから、高級ブランドショップと力のあるディスカウンターが生き残る。つまりLouis VuittonでありUNIQLOである。個性のない量販店は百貨店と同時に衰退する。ドンキホーテのように営業時間などに特徴があればそれなりに生き残れる。コンビニも増えすぎたから淘汰はされるだろうが、今やコンビニ無しの都市生活はあり得ないから一昔前の八百屋さんや魚屋さんと同じく必然性的存在として根付くだろう。
と言うわけで、日本よりも遙かに(本当の意味での)民度が高い(進んでいる)欧米で百貨店が衰退したのは当たり前であり、今、日本で百貨店業態の崩壊が始まったもの遅すぎるぐらい当然のことである。だから、これからは台湾や韓国や中国や香港、そしてやがてマレーシア、インドネシアそしてベトナムなど東南アジアでしか百貨店業態は生き残れないであろう。こう言うことは冷静客観的になれば誰にでも分かることなのに、未だに日本には信じられないほど沢山の百貨店が存在し、日々営業を続け、あるいは新規出店計画や増床計画があるのが筆者にはまったく理解できない。
それとも百貨店内部にいると、そう言うことは考えも思い付きもしないのだろうか?
百貨店は戦艦大和ではないはずなのだが。
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