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2001.10.15[月]
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七不思議 - DoromPATIO
■ 学校教育の不思議
中学から大学まで某私大だったので、日本においては質の高い授業を受けたはずの筆者ではあるが、どうしても納得に行かないこともあった。その代表格が漢文の授業である。
小泉首相はやたらと漢文っぽい引用が多いが、あれはやめた方が良い。アピールする年齢層が極端に限られる。早い話が60代以上だろう。49歳の筆者にだってちっともピンと来ないんだから。

それはさて置き、漢文(と言う科目あるいはカテゴリー)の何が問題かと言えば、それは最初の最初からまるっきり(筆者に言わせれば)方法論が間違っているからである。そもそも漢文と言うから誤解するのであって、元は昔の中国語である。たまたまそれは漢字で書かれている。漢字は日本も中国も基本は同じである(正確には「であった」であるが。何故なら今の中国語は画数を略したものなので日本人には読めない場合が多いからである)。
漢文は日本の漢字と基本は同じである(であった)が、同じなのは見た目と、単語あるいは熟語単位の意味であって発音と文法(主として語順)は全く違う。
であるにも関わらず、日本人は「返り点」や語順に番号を振ると言う用法を発明し、漢文を中国語としてではなく、日本語として(リアルタイムに語順を変えながら)読むというもの凄く強引な方法論を編み出してしまった。それが漢文である。

こう書いてまだピンと来ないなら同じ方法論を英語で行った場合を考えてみよう。 「I Love You. 」
英語の授業ではこれは「アイ・ラヴ・ユウ」と発音する。
その意味は「私はあなたを愛しています。」である。
つまり、英語の原文とは別に日本語に翻訳する。
以上、当たり前である。
しかし、もしも英語が漢文のように解釈されるのであればとんでもないことになる。
「I Love You. 」の発音は何故か「私はあなたを愛しています。」あるいは「私は愛します。あなたを」になるのだ。漢文の手法なら他国の言語を無理矢理日本語として発音するからである。完全に日本語の語順で発音するためには、きっと英文に返り点や語順の番号を振ることになるだろう。
つまり「I Love 3 You 2.」みたいになるわけだ【笑】。
この方法論の英語の授業を行ったらどうなるか?
英語は全く話せないのである。何故ならこの方法論の場合は決して英語本来の発音(「アイ・ラヴ・ユウ」)や語順は用がないからである。

だから漢文を幾ら勉強しても中国語は話せない。漢文(と言う科目)と中国語(と言う外国語を学ぶための授業)は全く違うものだからである。日本語(の中の漢字、あるいは熟語)と中国語は全く字面が同じだと言うだけで実現した強引なる方法論によって、隣国の本質を全く理解せず、しかし理解した気になっている日本人を多数輩出した漢文は言語道断極悪非道なる最低の学問だというのが筆者の結論である。文句があるなら反論してみろって>漢文の先生

じゃあ英語の授業がちゃんと行われているかというとそんなことは全くない。毎日のようにテレビで見られる世界中からの街頭インタビューで明らかなのは日本人だけが英語を喋れないと言う厳然たる事実である。ニューヨーク同時多発テロに関する様々なインタビューにおいて、ヨーロッパでもアジアでも、そして驚くべきことにパキスタンでもアフガニスタンでも、英語でコメントする町の人々が沢山居ることが分かる。発音がおかしくても文法が怪しくてもいい。とにかく国際情勢について英語で自分の言いたいことを言えているのである。もしも渋谷の雑踏でCNNの特派員が英語でインタビューしたらどうなるだろうか?コギャルもサラリーマンも大差ないだろう。最良の場合も「ノバの宣伝」みたいな状態がせいぜいだろう。
と言うことは学校の授業の方法論が間違っているのである。第一、学校の先生は殆どの場合、実は英語が喋れない。

某私大も生徒数が少ない附属中については視聴覚教室が完備し、先生も大抵は英語が喋れたし、外人教師も多かったが、これがマンモス校である付属高になると酷いもんで、英語の授業の大半は「シェークスピアの英文和訳」に終始するのである。これでは語学教育の最大の目的=英語圏の人々とコミュニケートする=は絶対に達成できないのである。
この状態がいつまで続くのかは分からないが、日本のプロスポーツ選手が日本の試合だけで生活が成り立つから世界に出ていかないのと同じく、日本人が日本で生活する限りは英語が喋れる必然性はほとんど無いので、おそらくはずっとこのままなのだろう。全く困ったものである。
勿論、筆者も英語に関してはインターネットなら困らないと言う程度ではあるが【苦笑】。

最後は歴史である。歴史(の勉強)とは人類史の大きな流れとうねりと出来事を自分なりに把握することだと思う。その結果、現在の出来事の背景を知り、先の見通しを立てることが出来る。この場合に重要なのは(各自の興味がどこにあるのかは別として)建築様式の詳細や特定の悲劇的出来事=戦争などではなくて、歴史の流れを俯瞰する大局観のようなものだと思う。そうでなければ大河の流れは掌握できない。また、現代(現在)もまた歴史の一部なのだから、近代(直近の100年ぐらい)こそ、もっとも詳しく理解していなければならないと思うのである。室町幕府のことについて完璧な知識を有していても、それだけではアフガニスタン問題はちんぷんかんぷんだからである。

しかし学校の授業は違う。カリキュラムに従って全ては最初から始まるのである。日本で言えば縄文時代からだ。ここで生徒が興味を失えばそれまでである。一般的に言って生徒の興味は持続しないので、卑弥呼あたりで歴史への関心は失せる。この結果、漢委奴国王と書かれた金印のことは憶えていても、戦国時代が最後は徳川家康に収斂する流れを立て板に水で説明するのは至難の業と言うことになる。ましてや戦前の軍閥云々となると観念的な理解しかないと言う情けないことになるのだ。
某私大の場合、さらに小学校から大学までの一貫教育が売り物だから受験目的の詰込み授業は行わない。それはいいのだが、歴史の教師はスケジュールに縛られないことをいいことに、自分の専門分野で道草を食いまくるのである。筆者の場合で言えば、中学2年の歴史の教師は南北朝が専門だったので「建武の中興」に入った途端に、そのまま学期末まで後醍醐天皇がどうたらこうたらで終わってしまったのである【爆】。

かくて筆者(並びに筆者の同級生)は日本史に関しては安土桃山時代ぐらいまでしか習っていないはずである。時間切れになっちゃうのである。これでは日本の歴史は全く分からない。勿論、世界史も似たようなものであるから、ヒットラーの台頭などは学校では一切、習っていない。これでは近代史は語れない。
公立の授業内容は全く知らないが受験対応の詰め込み式なら一通りは傍観しても大事なポイントは掌握できない筈である。
ここで何を言いたいかと言えば、流れを教えるのと個別の事象を詳しく教えることは両立できないのだから、だったら方法論を変えろと言うことである。

ではどうするか?
筆者の考えでは日本史も世界史も「流れ系授業」と「近代史系授業」に分ければよいと思うのである。「近代史系」は江戸時代末期から現代までである。「流れ系」は日本史と世界史を分ける必要がないかも知れない。人類が誕生してから現代に至るまでの経緯が分かればいいのだし、一国の歴史には他国の影響があるし、これからの国際社会なら尚更であるからだ。
「近代史系」は分かりやすい事件、誰でも知っている歴史的事件から始めればよい。つまり必ずしも時系列にこだわる必要はない。その方が生徒の興味を喚起しやすい。
例えば湾岸戦争を概括してから中東問題を辿っても良いわけである。いきなりイスラエルの成立の話をされるより、その方が理解し易いはずである。
逆に「時系列系」は地球全体の歴史を雄大に語ればよい。
但しこのような授業は教師が歴史を正確に理解しており、かつイデオロギー的に偏向していないと言うことが大前提となる。

残念ながらそんな教師は某私大にだって居ない。また某私大で近代史を教える場合は福沢諭吉という強烈なバイアスが掛かる。筆者は福沢諭吉には何の思い入れもないのでバイアス=つまり偏向は掛かって欲しくない。
と言うわけで、歴史については未だに自分でお勉強中である。結局、何かを学ぶと言うことは自発的行為なので、学校の授業だけではどうにもならないと言うことなのだろう。
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