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2001.10.24[水]更新
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七不思議 - DoromPATIO
■ 邦画編
この世の中には訳の分からないことが沢山ある。特に理解できないのが世の中では評判が良いと報道・喧伝されているが、自分の感性では全くそう思わない「もの」や「こと」である。

北野武監督つまりビートたけしが作る映画のどこが良いのかがさっぱり分からない。テレビなどで特集する場合は100%誉め讃えるが興行的にヒットしたという話は聞いたことがない。テレビで放映されたものは最初の数分で見る気がなくなるほどテンポが悪くてとてもじゃないが最後まで見る気にならない。テーマは大抵が暴力でありロクなもんじゃない。事故後の北野武は顔面麻痺が治らないので役者としてもタレントとしても問題がある。コメディアンとしてはもう無理である。コメンテーターぐらいしか務まらない。とにかく、どうして、誰か評論家なり有名人が「北野作品はどれもこれも明らかに駄作で見る気もしない」と言わないのだろう?

最近、日活ロマンポルノを見直す機運というのがあるらしい。ロマンポルノで育った監督も評価されているのだそうだ。そんな馬鹿なことを言っているから日本の映画産業がますます衰退するって事が分からないんだろうか?
出張先のホテルの有料テレビなどで見た【苦笑】ロマンポルノはどれもこれも箸にも棒にも掛からない駄作である。女優はどれもこれも三流だし、演出は古くさい。映倫規制が厳しかった時代の作品だから「肝心要のエッチのシーン【笑】」も実にアホらしい。女優も男優も前貼りを付けており、エッチ・シーンを演出する監督がセックスを分かっていないから、全てがわざとらしく漫画チックなのである。規制の厳しかった日本のある時代に経営危機だった日活が大部屋俳優と三流監督を使って低予算で直営館を維持するためにのみ必然性のあった映画が日活ロマンポルノなのだから、そんな中に名作があったら奇跡か冗談である。そして幸い、そのような事実はない。

現在邦画は全く興業として破綻しており、かつての有名俳優や女優は映画だけでは食べていけない。だから岩下志麻が象印のコミカルなコマーシャルに出たりするわけである。
それは仕方がないこととして、梅宮辰夫や山城新吾のような「代表作って何?」的な連中がテレビの中でとってもとっても偉そうに振る舞うのは実に不思議である。
彼等が映画人だった頃(と言うのも変な話だが)には大根役者で有名だったし、梅宮辰夫の主演作品なんてもんは簡単に言えばハチャメチャな暴走族映画(昔の話だから「カミナリ族」であるが)なんである。山城新吾はずっと脇役だし、主演と言えば月光仮面より前のテレビ創世期の白馬童子ぐらいのものである。
要するに二流三流の大根役者だったのである。それ以上の実績は何にもないのである(梅宮辰夫は銀座のおね〜さん達を撫で斬りにしたという伝説があるにはあるが、俳優としての実績とは何の関係もない)。
そんな連中が偉そうにしているのはやっぱり理解できないのである。

もっと不思議な存在が石原軍団である。石原裕次郎はとっくの昔に故人となっている。スーパースターだった時代は遙か昔であり、石原プロを作ってからは興行的失敗の連続で事実上は破綻状態だった。「太陽に吠えろ」だってもう大昔の話である。であるのに石原プロの生き残りは裕次郎の遺産だけにすがって生きている。その連中を使った超アナクロな自動車保険のコマーシャルを見ると悲しくなるほど後ろ向き。広告代理店も保険会社も馬鹿じゃなかろか?
ついでに言えば第二の裕次郎のオーディションは噴飯ものである。理由は書くまでもない。
そして2001年2月北海道はマイカル小樽にあった「石原プロワールド・西部警察」が不人気の為に閉鎖された。ざまぁかんかん、それ見たことかってなもんである。

世の中で金が稼げる映画はアニメ作品を除けば殆どがハリウッド作品であると言うことは誰でも知っている。ハリウッド作品の特徴は世界中の殆どの国で受けるように作ってあることである。金が掛かっているから迫力があり、時代背景的にタイムリーなテーマであり、しかしストーリーは単純で、とにかくテンポが速い。音楽に金が掛かっているので普及に拍車が掛かり後まで耳に残る。これ大事。
邦画はこの逆である。金が掛けられないから金の掛からないテーマを選ぶ。結果として毒にも薬にもならないドラマとなる場合が多い。日本が舞台なので国際性がない。日本語なので余計に国際性がない。ペーソスだ涙だなんだかんだなのでかったるい。音楽が耳に残る作品なんて邦画にはない。
こう言ういい加減な比較でも興行収入が得られるわけがないと言うことが明白なわけである。それなのに邦画は何故駄目になったかなんて真面目に映画人が議論したりする。駄目にしたのは自分たちだろうが。
邦画最盛期の時代劇を見ると金が掛かっているのは一目瞭然。着物を見ただけで高そうである。セットも豪華。俳優陣も豪華絢爛。テンポも良く、見ていて面白い。但し国際性はない。
同じく邦画最盛期の東宝特撮シリーズを見ると今でも結構感動するぐらいに頑張った特撮である。当時は国際水準を超えていたのである。だから子供の頃のスピルバーグやジョージ・ルーカスをモチベートしたのである。しかし、いつの間にか、完全に取り残されてしまった。
だからである。もしも本気で稼ぐ映画が作りたいのなら、ハリウッド方式で作ればよいのである。それが出来無いのなら邦画なんかやめちゃえばよい。それで困るのは「業界」だけであり、映画ファンは全く困らない。
そして邦画界はアニメだけに特化すればよい。

既に故人の筈だが、かつて笠知衆と言う役者が居た。初めて見た時から老人で、最後まで老人だった。そして、ずっと名優だと言われていた。しかし筆者には極端に平坦な台詞が堪えられなかった。それが味なんだと両親に言われたこともあるが、絶対に認められない。死ぬほど大根役者としか思えない。

一時期、邦画の復興を目指して角川映画が台頭した。何作かはヒットしたが、やがて消え去った。主として小松左京などのSF作品を原作に、それなりの制作費とハリウッド型プロデューサー主導システムで「歯切れの良い大作」を目指したものだった。「戦国自衛隊」はテレビで見て結構面白いと思ったが劇場で見るほどのもんじゃないとも思った。
それはさて置き、角川映画終末期の「復活の日」は凄かった。これもテレビで見たのだが、第三次世界大戦後の人類復興がテーマなのだが、細かいことは忘れたが、北極だか南極だかから徒歩で数千キロを戻って来る。数千キロを踏破するんだから何ヶ月も掛かる。だからどんどん髪の毛と髭が伸びる。その結果、草刈正雄が原始人のようになる。このビジュアルが感動を呼ばず笑いしか誘わないのである。
ついでに思い出したが(角川映画かどうかも忘れたが)「帝都物語」も酷かった。原作は日本の小説としては類を見ないほどスケールが大きい伝奇小説だが、映画の方は全くお話にならないような駄作だった。あれじゃ原作者(荒俣宏)がかわいそうである。

原作と映画という関係で言うと、もっとも訳が判らないのが「極道の妻たちシリーズ」である。家田荘子の原作は究極の突撃レポーターである原作者が本物の極道の妻と長時間インタビューしたノンフィクションである。極道の妻つまり暴力団構成員の配偶者という極めて特殊な立場の女性たちの本音をまとめたものであり非常に読み応えがある。
ところが「映画版極妻」は昔っからの単なる任侠映画である。違うのは親分がだらしないか、または殺されちゃうことによって奥さん=妻が担ぎ出されて、男顔負けのど迫力(に見えるのは実は岩下志麻の演技力のせいだが)で「組」を仕切り再興し対抗勢力をぶっつぶすと言うだけの話である。
但し、本質的には原作と映画には非常に反社会的な共通点がある。それは、どちらも極道=暴力団を否定していないと言うことである。いや、もっと積極的に肯定しているかも知れない。映画については説明するまでもないが、原作については余計に明らかである。何故ならば原作者の家田荘子はなな何と取材の関係から極道との関係が密接になりすぎ、仕舞いには結婚して、本当に極道の妻になっちゃったからである。
文明社会においては、あらゆる意味で暴力団は否定排除抹殺すべきものである。だから原作者もおかしいし、映画もおかしい。そう言う意味では邦画には社会性はほとんど無いと言って良い。インディーズ系は体制批判的な社会性があるが、これは今や時代錯誤系とも言える。

日本の推理小説は大半が風土記か観光ガイドか歴史探訪みたいであり時代性に欠ける。それと同じく邦画は現代劇であっても時代性がない。と言うか時代を捉えた視点ではない。その時代の流行は取り入れるが、ただそれだけである。
日本の推理小説は国内観光ガイドだから国際性に欠ける。邦画も同じである。予算がないから海外ロケは滅多にない。そもそもテーマが国内だから国際性があるわけがない。
どっちにしろ邦画という閉じた世界から一歩も踏み出ないのでマーケットが広がらない。香港映画人のようなハリウッドで一旗揚げることが最終目標という気概もない。
経営側も安定した興行収入のために渥美清を飼い殺しにして寅さんシリーズを作り続けたような近視眼的なモノの見方しかできない。ユニバーサルスタジオとは比べるべくもない見せ物小屋のようなテーマパークを大船に作っても案の定失敗して閉鎖である。

さらに悪いことに日本にはちゃんとした映画の批評システムがない。少なくともテレビにはない。どんな駄作でも褒める。週刊誌などには星の数で駄作は駄作と複数の評論家によるコラムなどもあるがテレビにはない。これは明らかにニュースと広報と批評・評論がまるっきり区別されていないから起きる現象だろう。番組側は配給会社からの情報だけが欲しい。配給会社側はテレビでの露出が増えればよい。ただそれだけの関係だからどうしようもない。

いわゆるアフターファイブから映画を見る場合、見終わった後でちゃんと食事をすることはまず不可能である。日本では東京であっても夜の9時を過ぎちゃうとちゃんとしたレストランは殆ど営業していないからである。この点は邦画も洋画もコンサートも同じであるが、要するに大人が知的に遊ぶ環境がないのである。

邦画の名誉のために言えば、筆者が中学生ぐらいまで、つまり1960年代までの邦画はそれなりに面白かったし、今見ても面白いものは面白い。豪華絢爛時代劇には既に触れたが、東宝の「無責任シリーズ(植木等他)」「社長シリーズ、駅前シリーズ(森繁久弥他)」そしてもちろん、ゴジラなどの特撮シリーズは名作揃いだった。
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