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七不思議 - DoromPATIO
■ 日本の小説編
小説の醍醐味のひとつは文章から想起される様々な情景が頭の中に描写されることである。この場合、景色や天候、人物の心理などは作者の筆力によるわけだが、対象が現実に存在する人やモノあるいは事件であれば、その名称なり固有名詞の記述だけで事足りる場合もある。
例えば戦闘シーンで「A10が掃射した」と書かれていれば、戦争オタクなら(たったそれだけで)空飛ぶ対戦車兵器ことアメリカ海軍のA10サンダーボルト攻撃機が30mm劣化ウラン弾対戦車バルカン砲をぶっ放す状況が思い描ける。逆に言えば、兵器の知識がないとトム・クランシー物などを読むのは辛い。

と言うようなことを踏まえて考えると日本の小説(に限らず、映画やテレビドラマ)は明らかに記述の方法がおかしい。
どう言う事かと言えば、日本の小説では企業名、商品名、番組名、有名人や政治家の名前などの殆ど全てが実名では記述されないからである。
  • 毎朝新聞の一面記事によれば…
  • 豊産自動車の新車が…
  • 不良債券を抱える四菱銀行頭取は…
  • その時、中根田総理は…
  • 高輪プリンセスホテルのスウィートルームから見る夜景が…
  • X県Y市で起きたその事件は…
  • 連続強姦魔山田清のようなベレー帽
全てこの調子である。「朝日新聞はこう言う論調だったが産経新聞はこうだった」なら「左寄りと右寄りの記事だ」と分かるが「毎朝新聞の記事」と言う物は存在しないのだから論調の推測は出来無いのである。「やけに古い真っ赤なカローラで逃走した犯人」と「豊産の新車ジャッカルで逃走した犯人」ではリアリティがまるで違う。「ニュースキャスターの久米宏はまた主婦向けのコメントでお茶を濁した」と言うのと、「山田キャスターはいつものように辛辣なコメントを残した」では頭の中に描く物が違ってしまう。「X県Y市」では情景描写をすることも出来無い。歴代の総理の名前が全部架空では時代的な流れをイメージすることなど全く不可能である。高輪プリンセスホテルのような表現は読み手が白ける。
テレビならスポンサーの関係があるから分からないでもないが、小説まで伏せ字に近い陳腐な企業名などを使う理由が全く分からない。
政治家のような公人や過去の犯罪事件の犯人の名前を伏せ字や変名にしたりする理由に至ってはまるっきり理解の外である。一体に何に気を遣っているか遠慮しているのか??

この点、海外の小説はわかりやすい。インタビューにはダン・ラザーが登場するし、ワシントンポストやニューヨークタイムズの一面を事件の記事が飾る。主人公も犯人も最新情報はCNNで得る。レーガンの時はこれこれだったがカーターが目茶苦茶にしたと言えば政策の流れと作者の意図が推し量れる。過去の犯罪事件を語る時は犯人の名前は実名で出てくる。犯人はマスタング・コンバーティブルで逃走する。GMのディーラーは慇懃である等々。ヒルトンに泊まるのとホリデイインに泊まるのではまるっきりシチュエーションが違う。料金が違うから客層も違うのである。
この結果、意味のない情景描写なしでも具体的なイメージが、たったひとつの固有名詞でたちどころに想起される。

そもそも日本人が海外の小説を読む場合は舞台となる国や地域や都市の地理や文化、風俗などに関する具体的な情報に疎いのが普通である。複雑な国際情勢や他国の犯罪事情に詳しいわけでもない。だから、様々な状況を説明するための要素が実名=固有名詞であることは重要である。
例えばアメリカが舞台であれば「バンディのような奴」と書けば「極悪非道の連続暴行殺人犯で、しかも結構いい男で高学歴」だと分かるわけである。
日本の小説の中で「高輪プリンセスホテル」が登場すれば、東京の人間なら「飛天の間がある高輪プリンスホテル」のことだと分かるから頭の中での置き換えも可能だが、これをイギリス人の読者が読んでも何のイメージも沸かないのは当然である。
このことから分かるのは、日本の小説(や映画やテレビドラマ)に国際性が全くないと言うことである。はじめから海外で売ろうという気持ちがないのだとしか言いようがない。

日本の小説(出版業界)に関するもう一つの不思議は一人の作者の仕事量つまり新作の発刊数である。海外の場合、多作で有名なスティーブン・キングなどの極一部の例外を除けば、ベストセラー作家の執筆ペースは概ね年間1冊である。1冊に一年かけるのだから取材は緻密で構成もしっかりしており、プロットは複雑で多元的ストーリー展開となり結果として読み応えがあり、更に読者は様々な分野での知識を得られるというおまけまでが付く(※勿論、欧米だって駄作乱作は多いのだろうが、幸いにして日本で翻訳されるモノはマーケティングというフィルターによって水準以上のモノに限られる)。
これに対して、日本のベストセラー作家は毎月のように新作を発表する。雑誌の連載も抱える。いずれの場合も締め切り前はホテルに缶詰なんて事が当たり前らしい。この結果、取材はいい加減であり内容は作者が得意とする(過去の知識)分野に限られ、トレンド・ネタ(今なら例えばインターネットに関連したトリック)などは陳腐でストーリー展開は平板。予めページ数が決まっているからなのか、結末に近づくとドタバタと強引に収束する。
仮に海外のベストセラー作家と日本のベストセラー作家の筆力が同じだとしても、これでは日本の作家が良い作品を残せるわけがない。

元々国際性に欠ける内容が多いのに短時間粗製濫造の出版システムの存在が作品内容をますます低下させる。デビュー当時の作品は実に面白かった大藪晴彦だって、売れてからの作品はどれもこれもプロット(ストーリーの展開)は全く同じで、違うのは舞台となる国や都市と主人公の名前だけであった。それでも商売になったのは大藪晴彦(=ブランド)という名前だけである。今や「陳腐ファッション家」が本業としか思えない志茂田景樹がポータブルテレコに作品を口述するシーンをテレビでやっていたが、そうでもしないと締め切りが守れないのだろうし、そんな方法で内容の濃い小説が書けるわけがないし、テレコの内容は助手と言う名の事実上のゴーストライターが口述筆記原稿から書き直すんだろうから何をか言わんやである。

幸いにして資本主義経済社会においては消費者には商品を選ぶ自由と権利がある。つまり筆者の場合であれば、世界中の良質な冒険小説の中から好きなモノを好きなだけ読める自由があり、同時に低俗陳腐内容希薄浅薄最低なる日本の小説を読まないと言う自由もある。
だから実害は全くないのだが、しかし、どうして我が国の小説中に架空の、あるいは仮名の有名人や企業名や商品名などを用いるのかと言う疑問は残るのである。全くどうでもいいことなのだがその理由ぐらいは知りたいと思うのである。
猫 チンチラ 来夢&来喜
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