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2000.07.13[木]
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日々雑感 - DoromPATIO
■ 題名さようなら百貨店 その4
番外編:
百貨店の現状と将来に悲観的な展望を披露したわけだが、以下は経験談で語る嘘のような本当の話。いわゆる「今だから話そうシリーズ」である。

レナウン在籍時代、筆者は東急百貨店担当だった。
故に東急4店(東横店、本店、今はなき日本橋店、吉祥寺店)に毎日通ったが、当然、売上が圧倒的に大きい東横店がメインだった。そして、ある日、朝から大量の納品があったので開店1時間前、つまり朝の9時から東横店の売場で「品出し(店頭に綺麗に商品を並べること)」をしていた。
この時間、店長朝礼というのが館内放送されるのだが、この時の店内放送には呆れた。まず「今日も頑張りましょう」的なのから始まったのだが、途中から「みなさん、今週も時間を見つけて(すぐ近くの渋谷)西武を見に行きましょう。良いところはどんどん見習いましょう」と来たもんだ。
当時の西武は前述の「不思議大好き」の頃であるから、店内装飾は目茶苦茶金が掛かっており、各フロアに趣向を凝らしたコンセプチュアルでファッショナブルなディスプレイがふんだんに施されていた。それを「見学」し、「盗んできなさい」と店長が奨励しているのである!!
確かに流通ノウ・ハウにはパテントはないし、一度、売場に出してしまえば誰にでもコピーできる。ノウ・ハウ皆無を自覚する東急百貨店の開き直った鼓舞激励には本当に呆れたものであるが、しかし、見に行かないよりはいいとも言える。
ついでに言えば、三越などの超時代錯誤的老舗系百貨店の場合、特に日本橋三越本店の社員の場合、自分たちを戦艦大和の乗組員であると誤解しているので、絶対に他店見学はしない。世界最高の軍艦に乗っていると思えば、他に参考にするものなど無いという発想である。これが誇張でないことは実際に三越本店の売場を見れば分かる。どう考えたって時代からずれているのである。

東急と言えば、彼等は本当にノウ・ハウがない。だからレナウン時代、展示会にバイヤーが来ても、基本的に「お任せします」だけだった。こちらは「何坪くれますか?」だけだった。だからレナウンは一部の百貨店からは「地面師」と言われていたぐらいである。だから納品計画も何も、全てこっちで勝手に決めた。売れそうな商品はレナウン内部で確保しなくてはならない。そうしないと自分の担当以外の百貨店に納品されてしまう。そこで、大抵の場合は東急本店に最初にどかんと売れる量の3倍ぐらいを納品した。そして実売時期になると勝手に返品を取って、値札を東横店用に付け替えて東横に納品して消化した。良く売れる東横店は売場もストック場も狭く、東急本店はちっとも売れないが売場もストック場も広いので倉庫代わりに使ったというわけである。
本店のバイヤーからすれば酷い話だが、オール東急で考えれば売上を確保する唯一の方法なんだから、結果的にこれで文句を言われたことは一度もなかった。

有楽町西武が出来たときに「U251」と言うプライベート・ブランドが導入された。「ゆーにぃごぉいち」と読む。名称の由来は「有楽町2-5-1」と言う有楽町西武の番地なのだが、この商品のコンセプトが物凄かった。
なんと毎週、商品が入れ替わるのである。
と言うことは前の週に売れ残った商品は西武のリスクで売場から消えるのである。
100%の消化と言うことは絶対にあり得ないのであるから、たちまちにして膨大なる不良在庫になるのである。有楽町西武だけの商品であるから返品できないし、他の西武でも売れないのである。
こんな目茶苦茶な方法論の有楽町西武であるから当然、売上は予算を大きく下回り、初代の店長はなな何とわずか2ヶ月で馘首になったのであった。ワンマン経営の会社というものは我々一般人には理解できないものである。

旭川西武が出来たとき、スポーツ売場にウインドサーフィン・ショップとバイク売場を作った。バイク売場は当時、我が社が池袋店、吉祥寺店で展開していた「モト・ベルデ」と言うオフロードバイクショップであった。
しかし旭川でウインドサーフィンショップである。オープンは秋である。それから5ヶ月は雪である。旭川と言えば最低気温がマイナス40度以下と日本一寒いところである。
しかし「利益のヨーカ堂、売上のダイエー、理論の西友」と言われていた時代の西武グループである。『旭川市民の暖かい季節への渇望のマインドを満たすためのウインドサーフィンショップ』と言う全く持って物凄いコンセプトで本当に開店したのである。
結論から言うと、非常に前向きな売場担当者は心労のために数ヶ月後に入院となり、いつしか売場もなくなったのであった。

LPに取って代わるCDが発売された20年ほど前。筆者の記憶が正しければ、CD発売1年経過後ぐらいの時期にたまたまあるCDを必死に探していたのだが、どこでも売り切れ。秋葉原も売り切れ。そこでふと思いついて秋葉原から近い日本橋三越に行ったら在庫があった。売れないから残っていたわけである。
それはいいとして、そのCDをレジに持っていって驚いた。
なんと三越の店員はCDを包装紙で包んだのである。
つまりCD用のサイズの小袋が用意されていなかったのである。
この頃、YAMAHAやカシオから各種の電子キーボードが発売されてちょっとしたブームになっていた。秋葉原などでも派手にディスプレイされていた。
そこで三越のCD売場の近くの楽器売場を見てみた。そしてぶっ飛んだ。
ピアノ他クラシック系の楽器は当時の三越の当然の品揃えとして、それ以外に置いてあったのはなんと三味線と大正琴だけだったのである。
百貨店は博物館ではない筈なのであるが………。

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