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筆者がレナウンに在籍していた昭和50年代。婦人服の最新トレンドを知りたければ夕方6時以降、新宿伊勢丹の社員通用口で帰宅する伊勢丹の女性社員を観察すればよいと言われたものである。
伊勢丹は(今でも基本的にはそうだが)徹底した自主マーチャンダイジングでファッションを創造する努力を続けており、組合が強いので給与は良く、よって女子社員はセンスの良いものを着ていたのである。同じ頃、「感度ピッピ → 不思議大好き → おいしい生活」と続けた糸井重里のコピーに表象されるコンセプチュアルな展開で西武グループが躍進した。百貨店を情報発信基地と定義付け、コストを度外視した売場装飾や実験、文化歳事に手を拡げて、既存呉服店系百貨店にないイメージを創り上げた。
その結果はそごうにも負けないほどの莫大なる借金を抱えて、創業経営者たる堤清二が追い出される結果となったわけだが、しかし、一時期、確かに西武グループは日本の文化を代表していたしトレンドを形成していた。しかし結局は儲からなかった。そもそも狭い日本である。GNPやGDPで比較するとアメリカの半分ぐらいになる日本だが、実際の購買力は1/3以下だろう。本質的なマーケット・キャパシティが違うのである。
なのに藤沢の駅前に4店も百貨店があるなんて事が起きる。現在、新宿には伊勢丹、京王、小田急、三越、丸井、そして高島屋と6つの百貨店があるわけだが、いくら新宿駅が日本一の乗降客数を誇るからと言って、百貨店6つは多すぎると言うことはどんな素人にも分かる単純な算術の問題であると筆者は考える。まして千葉市だ津田沼だ地方都市だって所に4つも5つも大型流通施設があって、その全てが採算に乗るなんて事はあり得ないのである。
なのに過剰に出店する。
しかも百貨店は儲かる商売ではない。粗利はざっと30%ぐらいであるが、その殆どは人件費に消える。売り場面積と坪効率からはじき出される売上より売れることは理論的にはあり得ない。外商は別だが、これはもっと儲からない。値引きが当たり前であるし、法人外商は商社行為だからである。店頭販売も今や通常5%引きは当たり前。高島屋はカードがあれば7%引きである。これだと粗利は20%代になるはずである。
メーカー=製造業は違う。
例えばiMacの場合、最初の一年間でAppleは世界中で90万台のiMacを販売した。粗利は分からないが目茶苦茶儲かるのは当たり前である。開発費がどんなに掛かろうと、このご時世に値引き無しの単品が90万台も売れるんだから。もっと凄い話をすれば、12年前に日本では100万円で売っていたMacPlusの実際の製造原価はなんと2万円だったという話がある。開発費や付加価値を除いて、純粋に部品から割り出した原価である。これなら儲かる。当たり前である。
その昔、石油ショックがきっかけでアメリカ環境庁から「世界一燃費が悪いクルマ」という悲劇的なお墨付きを貰ったが為に、マツダが一挙に倒産しかけた頃、初代FWDファミリアが爆発的ヒットをして、なんと最初の一年間でファミリアだけで1兆円の売上となり、ものの見事にマツダが再生してしまうと言う「事件」があった。ファミリアの開発費は一般論で言えば400億円ぐらいの筈だが、1兆円売れれば開発費は4%に過ぎない。台あたりの粗利は計算不能だが、MacPlusほどではないにせよ、滅茶滅茶儲かったことは確かである。ちなみに石油パニックが起きる前にマツダがRX-7をアメリカに毎月5,000台輸出していた頃、船積み時点の粗利は円安の関係もあって、ざっと80万円だったそうである。つまりRX-7だけで毎月40億円の粗利である。
だから製造業は儲かるときは目茶苦茶儲かるし、失敗すればとんでも無いことになる。
逆に百貨店の場合はそう言うことはあり得ない。
器(店舗規模)以上の商売は出来ないのである。
ちなみに、こう言う商売を「箱モノ」と言う。だから普通は新規出店はなかなか出来ない。それだけの資金が生み出せないからである。だからついこの間まで、伊勢丹だって東京の地方デパートだったのであるし、普通じゃない方法、つまり土地と建物を担保に地価は右上がりであるという前提で借金をしまくって大量出店をしたそごうや西武は見事にこけたのである。
昔、百貨店は間違いなく日本の文化の担い手だったし、百貨店の屋上が子供達のディズニーランドだった。しかし今や、東京ディズニーランドが実在し、その東京ディズニーランドではキャラクターグッズなどの物販だけで毎年400億円以上が売れている。
昔、百貨店に行けば、間違いなく最新流行の商品が陳列されていたし、商品の品質に安心できたし、店員の商品知識は豊富だった。しかし今や、カリスマ店員が居るのは渋谷の109であり、今どきの流行商品を百貨店で見つけることは難しい。
現在、50歳以上の年代は百貨店指向が強いと推測できるが、30代以下は百貨店への思い入れなど何もないだろう。ダイエーやコンビニからお中元を出したって別に構わないと考えるはずである。
ファッションに関してもルイ・ヴィトンなどの外部の看板に頼らざるを得ない百貨店には最早、業態としての付加価値性は無いと言える。もちろん、じゃあ百貨店は全て不要かと言えば、未だにスーパーやコンビニだけではライフスタイルの全ての側面をカバーすることは出来ないのも確かである。
しかし新宿に6つも百貨店は要らないし、地方都市に3つも4つも百貨店がある必要は全く無い。少なくとも、いかにも日本的な「どの店も入っている商品は殆ど同じ」的な店は絶対に不要である。
そして、そごうが倒産した。
2兆円の借金があるんだから、今後、取引先の連鎖倒産や回収不能債権による銀行経営の圧迫、あるいは馘首になった社員の雇用問題など、色々な問題を引きずるだろうが、しかし、我々一般消費者からすれば、実はそごうと言う百貨店が消滅しても、別に何も困らないのである。そごうにしか無かったものは何もないはずで、代わりの百貨店は一杯あるんだから。
実際問題として既に東京だって日本橋東急は消滅したわけだが、それで困ったという話は聞いたことがない。当たり前である。すぐ近くには八重洲の大丸があるし、東側には日本橋の高島屋と三越の本店があり、西には銀座の松屋、松坂屋、三越、有楽町西武、有楽町阪急(も撤退らしいが)があるんだから。
と言う発想で本気で流通再編、百貨店業界再編、本当の意味での棲み分けを考えるときがとっくの昔にやってきているのである。
しかし再編あるいは発想の抜本的転換変換は恐らく行われない。その理由も明白である。
それは流通業は製造業と違って、外圧が少ないからである。自動車業界は去年辺りから急激に再編されるつつあるが、それまでは世界で唯一、国内メーカー11社体制のままだった。しかし外圧というか、国際的な吸収合併圧力のメガトレンドから急速な統合が始まっている。しかし百貨店の場合、同種の外圧は当分はあり得ない。それが無ければ日本人は決して現状を自ら変えようとはしない。まして、今の日本の全ての百貨店の経営陣は百貨店黄金時代を知っている連中であるから、その百貨店が既に時代に取り残されているということを認めたくない。あるいは根本的に気が付かない。理解しない。例えばiMacの比喩も分からない。
結論。
百貨店は無くなりはしない。しかし淘汰は進む。儲けはますます減る。給与水準は昔から低いが、もっと悲惨なことになるのは間違いない。
つまり今後就職するべき産業ではないと言うことだ。
この項、続く
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