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明治時代。日本橋三越で「世界の時刻表」と言うテーマの歳事が行われたのだそうである。そこに集められた「時刻表」とは、例えばオリエント急行の時刻表だとか、アメリカ大陸横断鉄道の時刻表だとか、はたまたクイーンエリザベス号の就航予定表などであったと言う。
これを現代に置き換えて考えると、いずれ一般人にも開放される予定のNASAのスペースシャトルの就航予定表のようなものの筈である。
何故ならば明治時代と言えば、一般的な日本人にとっては海外旅行なんてものは宇宙旅行と同義ぐらいに縁がないものだったからである。
しかし「百貨店の歳事」と言う視点から見れば、これはまるで万国博覧会ぐらいインパクトのある提案性のある情報発信であったことは確かである。つまり日本において、ある時期からある時期まで、百貨店は間違いなく情報発信や文化の担い手の中心に位置したのである。
筆者が子供の頃、つまり昭和30年代を考えても、立派な洋服に着替えて出かける先は百貨店であり、その屋上には子供が夢中になる遊園地があり、大食堂のお子さまランチは最高のご馳走だった。
同じく昭和30年代。ちょっと前のたまごっちや、今のポケモンやFFシリーズに匹敵するオモチャと遊具の爆発的ブームが2回あった。最初が「ダッコちゃん」であり、次が「フラフープ」であるが、いずれも余りの人気にそれらを手に入れるのが大変だった。
しかし筆者はすぐに手に入れることが出来た。それは、うちの親が三越に勤めていたからであるが、つまり、当時、売れるものはまず真っ先に必ず三越に納品されたのである。今は違う。
ポケモンもFFシリーズも買うならコンビニか秋葉原である。2年前に世界的に大ヒットとなり、その後の工業製品のデザイン傾向を大きく変えた化け物商品、つまりiMacだって、百貨店では売っていない。それどころか、日本全国の百貨店にまともなパソコン売場は(恐らく)一カ所もないはずである。
今どき、最新情報を求めて百貨店に行く若者は居ないはずである。実際問題、百貨店には最新トレンドは存在しない。日本の百貨店の中でもっともマーチャンダイジング能力に長けているはずの伊勢丹をして、本店の地下にまるで渋谷的としか言いようのない売場を作ったぐらいである。つまり「渋谷という街」に百貨店が負けているのである。
昔はどこのメーカーも問屋も輸入商社も、新製品が出ると真っ先に日本橋三越の仕入れ本部にその商品を持って行った。そして何とか店頭に並べて貰うように努力した。朝から晩まで待たされてやっと納品伝票を貰うのである。
しかし、三越に並べばしめたもの。演歌歌手が紅白歌合戦に出ればギャラが跳ね上がって向こう3年は確実に食えると言うのと同じく、「日本橋の三越さんで扱っていただいている商品です」の一言があれば、その商品は日本全国の百貨店に無条件に納品できたのである。
今は違う。iMacを百貨店に置いたって売れるわけがない。そもそも百貨店にMacを語れる店員なんて居ないんだし、iMacがなんたるかも分からないし、お客の方も売っていると思ってないんだから。
携帯電話しかり、PDAしかり、最新情報機器を百貨店で探す客が居たら、そいつは単なる馬鹿である。
ファッションの世界でも、もちろん主客は転倒している。あのルイ・ヴィトンが百貨店に出店する場合の条件は現在、下記のごとくに物凄い。
- ルイ・ヴィトン指定の(大理石は当たり前的な超豪華な金の掛かる)内装とすること
- 2階建てとし、店内に階段を設けること
- 掛率は85%の消化仕入れとすること
- 店舗施行経費は100%、百貨店が負担すること
これではどんなにルイ・ヴィトンが売れても百貨店側は当分は赤字の筈である。しかし、それでも百貨店のバイヤーがルイ・ヴィトン・ジャパンに日参して出店要請をする。何故ならルイ・ヴィトン・ショップがあると無いとでは百貨店のイメージが違うし、ルイ・ヴィトン目当ての集客が見込め、その客は必ず他の商品も買うからである。
つまり百貨店そのものの集客力が弱ってきているから、今や百貨店よりもルイ・ヴィトンの方が遙かに偉いのである。これはシャネルもディオールもグッチもエルメスも同じである。
宇多田ヒカルが紅白歌合戦に出ないのと同じなのである。では何故、ここまで凋落してしまったのか?
また、再び百貨店が再生する可能性はあるのか?
この項、続く
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