|
|
|
|
|
このロゴはお店のコースターをスキャンしたものを基本としてデザインしたもの。そして筆者が趣味で作ってあげた「いんたぁ〜ねっと華笛」と言う名称のWeb(わざわざドメインまで取得)で使用
|
六本木に華笛(かふえ)と言うお店があった。かれこれ20年以上通っていた店である。その店が2003年1月31日[金]をもって閉店した。デフレスパイラルまっただ中の我が国のご多分に漏れず単純素朴に営業不振がその原因である。 |
華笛は1973年に渋谷で開業し、その後、1976年に六本木に移った。筆者が通うようになったのはその直後であり、それは丁度、筆者が社会人になった時期と重なる。元々、この華笛は某私大広告学研究会御用達で、その関係で後輩から紹介されて行ったのが最初だと思うが流石に昔のことなので良くは憶えていない。 |
ちなみにその当時の華笛は六本木ロアビルの鳥居坂ガーデン寄りの隣のビルにあり、パブスナックとしては結構広い店だった(満員で40席ぐらい)。店舗コンセプトは中華カラオケパブ。こう言う店は当時はなかったのでなかなかの繁盛店であった。その頃には既に筆者は脱サラして自分の会社を立ち上げていたので、得意先を呼ぶ会社の忘年会には毎年利用した。暫くして筆者がNIFTY SERVE(当時。現@nifty)に填ると、日本最初の大規模オフ会を開催したのも、この華笛である。 |
経営順調な華笛はやがてもう少し小規模な華紋と言うサブ店舗も開き、それぞれに繁盛していたのだが、やがてバブル崩壊。六本木自体が閑散とする時代がやって来る。その結果、元々の華笛を閉めて、狭い方の華紋を華笛として小さなスナックとして再出発したのが1995年春。それから8年弱での閉店となるわけである。 |
華笛は基本的に常連さんの店であった。店が狭くなってからはロケーションも悪かった。だから常連以外がぶらっと入る店でもない。価格的にはいわゆる六本木レベルであり、今時の価格破壊時代には割高に感じるのも確かだった。常連が歳を取り、しかも会社の接待交際費が使えなくなれば、足が遠のくのは当たり前である。そこで華笛の最後の半年はマスター一人だけの営業となり、価格も時間制の飲み放題システムにしたのだが、それでは六本木レベルの賃貸料など諸経費を賄うことは出来なかったようである。 |
今時は例えば高円寺あたりの居酒屋でたらふく食べてたらふく飲んでも2,000円台と言う時代である。渋谷の魚真というナウな居酒屋はアベック客でいつも一杯だが、ここで散々飲んで食べても一人あたり5,000円未満で済む。おね〜ちゃんの好きなサラリーマンの場合は新小岩あたりのフィリピン・パブを30分単位でハシゴすればまるで金が掛からない。何でこんなことを知っているかと言えば、某得意先の某課長に連れられてフィリピン・パブ7軒のハシゴなんて馬鹿なことをやったことがあるからだが、初めての店の場合は最初の30分は無料あるいは1,000円なのだ。こう言う時代には価格競争に巻き込まれないためには余程の特徴がない限り飲み屋さんも辛いに違いない。 |
とにもかくにも初めて飲みに行ったときから指折り数えると27年も付き合ったお店が閉店である。華笛は事前に電話をしておけば本格中華を食べることも出来たし、常連の特権でこっちが帰らない限りは朝まで居座ることもOKだった。だからつまり、どう言うシチュエーションでも利用できる店だったのである。それが無くなっちゃうのは非常に困るのである。筆者は「マニュアル坊や世代」ではないから手帳にびっしりトレンディな店をメモるような馬鹿ではない。気楽にいつでもいける行きつけの店というのはナイトライフに欠かせない存在なのだ。
だがしかし、今やナイトライフを楽しむわけでも無いから関係ないとも言えるのではあるが。それに、そもそもナイトライフは連れ歩く相手が居なければ話にならないしねぇ……。 |
|
|
|