DoromPATIO - M:i-2
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2000.09.10[日]更新
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映画三昧 - DoromPATIO
■ M:i-2
2001.04.27[金]訂正
M:I-2
「ミッション・インポッシブル」は筆者が中学の頃に毎週毎週感動感激大興奮して見た『桁違いの完成度のアメリカ製TVドラマ』だった。但し、当時の放映タイトルは「スパイ大作戦」であったが。そしてその後も、これを超える同種の作品に出会ったことはない。中でも列車を使ったトリックの作品(例によって相手を騙すために、秘密基地に作られた列車のセットが実際に走っているように偽装するというストーリー)はテレビの歴史に残る名作と言えるだろう。
トム・クルーズも子供の時に見た「ミッション・インポッシブル」に感動し、俳優として成功してから映画化権を取得して、それを「M:I」として蘇らせたわけだが、はっきり言って、あるいはどう言う訳か、彼は「ミッション・インポッシブル」のコンセプトをまるで分かっていないらしい。そもそも「ミッション・インポッシブル」は非常に単純な基本パターン(プロット)から成り立っている。つまり
  • フェルプス君(一番最初のクールはブリッグス君)と言うティーム・リーダーが謎の組織から極めて理不尽な指令を受ける
  • フェルプス君はその任務に必要な「プロ」を、その都度、ファイルから選び出す
  • 任務は必ず相手を何らかのトリックで騙し陥れ、その権力や立場から完璧に失墜失脚させることを目的とする
以上から「仕掛け」や「変装」が必要になるのである。
これらはいわゆる「予定調和」であり、つまり「お約束」なのであり、これが守られなければ「ミッション・インポッシブル」ではないのである。
007/ジェームズ・ボンドが毎回、まるでドンキホーテのごとく敵地に乗り込むパターンと全く同じである。ところが、トム・クルーズ版「M:I」第一作では、なんと事件の真犯人はフェルプス君であった。これは007で言えば、007の上司である「M」がスペクターのボスだったのと同じである。これだけでもう、昔からの「スパイ大作戦フリーク」としては興醒めである。「トリック」については、トム・クルーズ版「M:I」第一作では、冒頭のシーンで一応は(敵の自白を誘うための)偽装セットと言う形で登場した。
しかし、今回の第二作では、そのようなシーンは全くない。と言うよりも、一作目も二作目も、基本的にトム・クルーズ扮する主人公:イーサン・ハントは敵に填められた状態から出発すると言うのが基本プロットであり、そのこと=危機的状況(からの脱出)=がつまり「不可能な任務=ミッション・インポッシブル」だと言うスタンスなのである。繰返しになるが、原作での「不可能な任務」は、非常に強力かつ陰謀的な敵を陥れることが「不可能」であるという前提になっており、この強力なる権力的なる敵を破滅させるためのトリックを創出し実行するのが「任務」なのである。
これに対して、トム・クルーズ版は、第一作では主人公あるいは組織としての「M:I」が最初から危機に陥っており、また第二作では主人公に偽装した敵があっさりと強力な殺人ウイルスとその治療薬を強奪しているのを、それぞれ第一作・第二作ともにひたすら体力的に解決するという話なのである。
途中で例の変装シーンは出てくるが、原作の大掛かりなトリックの創出とは意味が違うのである。つまり第一作は完全な掟破りであるし(大岡越前が悪人だったようなもんだ)、第二作は007あたりの基本プロットと同じで何のひねりもないのである。
要するにトム・クルーズは分かってないのである。

さて。
そう言う根本的欠陥は別として、娯楽作品としてみた場合はどうか?
単純に言えば映画後半のバイクを使ったカーチェイス・シーンだけでも1,800円を払う価値はあると言えるだろう。人によっては冒頭のロッククライミング・シーンがそうかも知れない。要するに「楽しませてくれるハリウッド映画」の典型である。また、ジョン・ウー監督作品であるから、違う意味で「お約束」の「残弾数一切無視全員参加撃ちまくりシーン」と、同じく「お約束」の「主人公必死演技二丁拳銃横っ飛び空中射撃シーン」のオンパレード満載であることは、監督の出世作である「狼の挽歌シリーズ」からまるで変わっていない。

結論:
「テレビ映画ミッション・インポッシブル(スパイ大作戦)」と、「映画M:IおよびM:I-2」は全く関連がないと思えば楽しめる。そうでなければトム・クルーズ版は噴飯ものである。
要するに「スパイ大作戦」と「M:I」は全く違うものなのである。ブルース・ゲラー(テレビ版の「ミッション・インポッシブル」のプロデューサー)が激怒しないのが不思議なくらいである。

蛇足:
「ミッション・インポッシブル」のテレビ・シリーズも、本当に面白かったのは初期のモノクロ版の数クールだけである。フェルプス君の俳優がピーター・グレーブスに変わってからは、はっきり言って質は大幅に落ちた。特に「新・スパイ大作戦」になってからは、全く面白くなかった。アメリカの映画で一番重要なのは脚本であるから、要するにネタが切れたのである。刑事コロンボはどれもこれも面白いが、これは殺人事件のパターンやトリックは無限にあるからである。これに対して「ミッション・インポッシブル」と呼べるようなプロット(ストーリー)はそうは沢山転がってはいないと言うことであると思う。

蛇足その2:
クライマックスシーンのバイクの追いかけっこは実に迫力があるが、その前半と後半では装着されているタイアが違う。前半は舗装路で後半は砂地だから(ある意味では)当たり前だ。きっとマシンも違うと思うが、筆者にはそこまで分からなかった。映画ではこう言うインチキは良くあることで、非常に古い例としては、ゴジラ映画などで逃げまどう当時の東宝売り出し中新人女優が最初はハイヒールなのに、荒れ地に逃げ込むとちゃんとスニーカーを履いているなんて例は枚挙のいとまがない【笑】。
なお(話のついでに)筆者が気が付いたその手のネタで一番面白いのを書いちゃうと、それは「007/ダイアモンドは永遠に」でショーン・コネリー扮するジェイムズ・ボンドがネバダの砂漠を月面探査車で逃げるシーン。このシーンを良く見ていると、途中で月面探査車のタイヤが1個、外れてコロコロ砂漠を転がっているのだが、その直後に「全てのタイヤをちゃんと装着した月面探査車に乗ったボンド」が走っていくのだ。つまり撮影中にタイヤが外れちゃったシーンと、外れていないシーンが編集で混ざっちゃったのである【笑】。

蛇足その3:
トム・クルーズ版を誉める点は一カ所だけある。それは変装から元に戻るシーンである。これだけは昨今の特撮=CGの進歩の恩恵により見事の一語。見ている側の「我慢=理不尽なる納得」が不要であるというのは素晴らしい。ちなみに、この素晴らしさ=自然だからこそ物凄いCGの多用の原点はやはりトム・ハンクスの「一期一会」ことフォレスト・ガンプだろう。
猫 チンチラ 来夢&来喜
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