2001.08.10[金]
■ 昔話:超ラッキーだった沖縄旅行
8月なのに人っ子一人居ない超穴場!!
沖縄伊計島@1979年
九州小旅行
で地元観光タクシーを活用した話を書いたが、これには伏線がある。今を去ること軽く20数年前。就職3年目の1979年に沖縄旅行に行った時のことなのである。
そもそもは当時のバンド仲間の一人が昔から沖縄に行きたい沖縄に行きたいと騒いでいたのだが、その彼は実行力というものが全くない。だから自分では計画が出来無い。そこで余りにもうるさいもんだから、筆者が旅行代理店での予約などを全て済ませて、数名の友人及び、当時筆者が付き合っていた彼女と合計5人で沖縄に行くことになったのである。基本的にはJALパックで適当に決めて、宿泊はムーンビーチとした。
そしていざ那覇空港に降り立ったのだが、JALパックと言っても現地フリーコースだから何にも分からない案内は居ないって奴なので、とりあえずは空港ロビーを出てタクシーを拾った。そして運転手さんに「ムーンビーチまで」と告げた。すると、その運転手さん。なな何といきなり「ムーンビーチ?最低ですねぇ」と来たもんだ。
こっちは沖縄に到着してワクワクしているわけである。それが開口一番「最低」と言われちゃあ何をかいわんや………。
しかし、それでめげるような我々ではないので「じゃ、どこがいいんですか?」と聞いたら、いきなり「一日二千円でばっちり案内してあげる」。
旅程は三泊四日だから一日空けるのに問題はないし、二千円なら駄目モトである。かくて訳も分からず翌日の朝、ホテルに迎えに来て貰うことにした。
そして翌朝。半信半疑の我々はそれでも朝早く起きてホテルの車寄せに行く。すると昨日の運転手さんがちゃんと待っていた。しかしタクシーは2台。運転手さんは荷物などがあるから2台必要だから都合四千円だよと言う。をいをい話が違うぞ。しかし四千円でもまだ安い。20年以上前でも安かった。
かくて我々は納得はできないまま、2台のタクシーに分乗してホテルの前を出発した。行き先は不明。とにかくお任せ。
ところで我々が行ったこの年は沖縄が本土と同じ左側通行に変更された直後。だから、この運転手さん、右折の度に反対車線に行っちゃったりして危なっかしいったらありゃしない。車中の話は面白いのだが我々は全く落ち着かないドライブをする羽目になった。
やがてタクシーは人里離れた入り江のような所に到着した。簡単に言えば非常に狭い内海という感じの場所である。人は誰も居ない。砂浜は真っ白。海は透明感抜群。昨日泳いだムーンビーチとは全く違う。そのムーンビーチだって湘南海岸なんかと比べれば桁違いに綺麗に感じたのだが、この場所の海の綺麗さは次元が違うのである。
唖然としている我々を後目に二人の運転手さんはなにやら色々なものを2台のタクシーのトランクから出してくる。そして出て来たものはとてもじゃないが4千円どころで済むようなもんじゃなかったのである。それは………
タイアチューブ(人数分)
水中眼鏡
シュノーケル
足ひれ
バーベキューセット
たっぷりと食べきれないほどの牛肉と野菜
!!
かくて我々は水中眼鏡を被り足ひれを付けタイアチューブを身体にくぐらして透明度抜群の内海に泳ぎだした。顔=水中眼鏡を海面に付けた。次の瞬間、思わず我が目を疑う我々5人。眼前の透明な海中には数え切れないほどの数の色取りどりの様々な大きさと種類の熱帯魚が我が物顔に泳ぎ回っているではないか。それは殆ど魚群と言って良いほどの数である。水深はおそらく5〜7mぐらいなんだろうが、底まで全く透明と言って良いほどに見事に見通せる。海底にはウニやカニやエビがこれまたごっそりと棲息している。たちまちにして時を忘れ、唖然呆然として、ただひたすら海中の素晴らしい景色に見とれる我々であった。
暫くすると運転手さんが泳いで来て、さっと鮮やかな素潜りで海底まで往復してウニやエビや大きめの熱帯魚を採って来ることを繰り返す。同じ事をやろうと思っても、我々都会の素人はまるで真似できない。海底遙か手前で身体が浮いてしまうのである。
そんなことをやっている間、もう一人の助手役の運転手さんはずっと炭火をおこしてバーベキューの準備を続けている。
あっという間に二時間ぐらいが経過してひとまず浜辺に戻ると、今度は運転手さんが先ほどの取れたてのウニをナイフで割ってくれる。それを波打ち際の海水で洗ってそのまま食べろと言う。食べた。うまい。本当に美味い。これほどの鮮度は他ではあり得ない。未だにこれ以上うまいウニを食べたことはない。
かくて我々はその後もスキューバ・ダイビングを楽しみ、ビール(←言うまでもなくオリオン・ビール)とバーベキューを堪能し、生まれて初めての何やら名も知れぬ熱帯魚の塩焼きまで味わい、丸々一日中、7人しか居ない浜辺で自然のままの本当の沖縄を満喫した。そしてホテルに戻って四千円ぽっきりを支払った。余りの感動にお礼の手紙を書くからと無理矢理運転手さんの名前と住所も聞いた。名前は祖慶さんだった。
とにもかくにも、こんなにラッキーな話は後にも先にも無かったのである。
帰京してすぐに礼状を書いた。ホテルの前で運転手さんを真ん中にして撮った記念写真も同封した。そして暫くしてそのことはすっかり記憶の彼方に去った。
それから数ヶ月後。一枚の絵葉書が届いた。それは沖縄に出来た新しいホテルの案内葉書であった。ところが、その差出人を見て唖然呆然愕然驚愕。差出人はそのホテルの支配人であり、その支配人の名前は、あの運転手さんの名前だったのである。
それで全てが分かった。
運転手さんは我々が沖縄を訪れたときにたまたま休暇中だったか、または本業の休業中だったのである。あるいはホテルの支配人になるまでのインターバル期間だったのである。そこで暇だから趣味でタクシーの運転手をやっていたのである。だから運転は下手だったのである。そして儲けはどうでも良かったのである。
とにかく、空港で偶然拾ったタクシーがそう言うタクシーだったというのは奇跡的偶然であった。
なお、この場所は一体何処かというと、それは沖縄本島東部の伊計島の近くである。しかし今はもう上の写真の面影は全くない。何故なら我々が素晴らしい無人の浜辺を味わった翌年からリゾート開発が始まり、今は全く人工的な風景に変わってしまったからである。つまり我々5人の奇跡的なラッキー体験はもう二度と味わうことの出来無いものなのである。