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2006.01.22[日]
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七不思議 - DoromPATIO
■ 懐古趣味……と言う不思議
昭和30年代が良かった……てな風潮がある。例えば昔からビッグコミック・オリジナルに連載されている「三丁目の夕陽」の映画版(「Always」と言うらしい)を筆者の同級生が劇場で観て来て「何回泣いたか?」が話題になったりしているのだ。更には「あの頃はみんな輝いていた」とか「大人も子供もキラキラしていた」とか。とにかく、昭和30年代は良かったらしいのだ。懐かしいらしいのだ。

しかしである。筆者は昭和27年生まれであるから昭和30年代と言うことは3歳から12歳までの間である。この間の筆者の印象的な記憶と言えば「月光仮面」と「シャボン玉ホリデー」と「東京オリンピック」ぐらいしかない。テレビは白黒が基本。画面サイズは大きくても13inchぐらい。当時の我が家にはマイカーもなかった。東京ディズニーランドなんて勿論無かった。大人がどうだったか(どんな風に仕事をしていたか?)なんて全く記憶にない。あるわけがない、小学生なんだから。

逆に、テレビで観るアメリカのディズニーランドは憧れの場所だった。同じく、テレビで観るアメリカの家庭ドラマ(「パパ大好き」など)で観るアメリカの家庭生活はまるで別世界のように快適で豊かで美しかった。それと比べれば今の日本ですら未だに追い付いていないという現実があるわけだから、つまり当時=昭和30年代が良かったなんて全く思わない。百歩譲ったとしても「当時は当時なりに良かったことも多少はあった」に過ぎないのであって、とにかく筆者には懐かしいなんて発想は全くないのである。だから不思議なのである。同世代の趨勢と乖離した自分の感じ方が不思議なのではない。同世代が昭和30年代は良かったと盛り上がるのが理解できないから不思議なのである。

10年近く前に池袋サンシャインに「ナンジャタウン」が出来た。今やナンジャタウンと言えば事実上はフード・テーマ・パークだが、出来た当初は昭和30年代の街並みの再現が目玉だった。仕事上関わっていた筆者はかなりこだわって作り込まれた、その「レトロな街並み」を見ても懐かしいとは全く思わなかった。昔の東京は確かにあんな風ではあったが、美しくねぇなぁ、不便だったなぁ、しょぼかったなぁと思っただけである。当然、あんな時代に戻りたいとは全く思わないし、そんな時代が良かったとか輝いていたとか、そんな感性は全く持ち合わせない。その時代を知らない若い世代なら「別世界」だから面白いのかも知れないが、実際にその世代に生きていた筆者からすれば今の方が良いに決まっている。なんたってコンビニすらないんだから、当時は。

そう言う意味で言えば、ここ数年、毎年暮れにやっている某私大同期ライブと言う某私大同期のライブを兼ねた大忘年会イベントで、これまた毎年恒例のように演奏するベンチャーズについても今や本当に食傷気味である。筆者は都合の付く同期生で他にまともなベーシストが居ないと言うだけの理由で毎回、一緒に演奏しているが、とっくの昔に(いや、実は最初から)飽きている。確かに「The Ventures Live in Japan(一枚目)」は名盤であり名演なのだが、それは「日本におけるロックの歴史」と言う大前提があるからそうなのであって、所詮は今から40年前の演奏であり、しかも基本的に日本でだけ大ブレークしたベンチャーズなのだから、ほぼ同時期の音楽を世界的に見た場合に、どれほどのものかというと、さして大きな意味があるわけではないのだ。例えば同時期のThe Beatlesのデビューとか、ライブ演奏という意味で言えば、ちょっと後のクリームのライブとかとはまるっきり位置付けが違う。しかし同期生にポピュラーなのはあくまでベンチャーズであって、クラプトンだLED ZEPPELINだなんて言ったって(もしも演奏しても)まるで受けないと言う不可思議な事実があるのだ。

昭和30年代は良かったと言うような感性を団塊の世代が持つのはある意味では当然であろう。何故なら(言うまでもないが)団塊の世代の場合は昭和30年代が最も多感なる青春時代だからである。9歳から18歳あたりが昭和30年代なら感じ方が違うのは当たり前。しかし筆者の世代でそれを感じるのはどう言う訳だろう? 唯一考えられるのは年上の兄なり姉なりの影響下にある場合であろう。しかし筆者は一人っ子なので関係ない。

と言う話と関係なく、色々な分野での懐古趣味が流行っているようだ。一番極端な例では昔のクルマやコンピュータを良しとするケース。確かにピカピカにレストアした初代のマスタングやアルファ(・ロメオ)の1750GTヴェローチェは勿論、20〜30年前の当時の普通の国産セダンをこれまた綺麗にして乗っている人も結構いるらしい。それどころか、うちの近所で実際に走っているのを見かけることすらある。派生系としては初代のEUNOS ROADSTERにこだわるのも同じだろう。あるいは、かなり古いMacを現役として使っている人も居るらしい。こう言う人達のサイトなどを見ると各人各様の理由があって、それらを重用・常用しているようだ。もちろん、これは趣味の行動であり他人の勝手である。筆者の趣味の定義だって「無駄の追求」である。

だがしかし、昭和30年代ブームも同じ事なのだが、生活の利便性や機械の進歩などを事実上否定してしまう考え方はやはり筆者にとっては極めて不思議である。昭和30年代にはコンビニもパソコンもインターネットも携帯電話も無い。完璧にレストアした1750GTヴェローチェより最新型のもっとも安価なカローラの方が遙に速いし燃費がいいし安全である。そして何たって故障しない(これが一番大事)。もっと細かいことを言えば、今どきのクルマはオートエアコンが当たり前。だから窓は曇らないし夏でも快適だが、昔のクルマはそうは行かない。今どきのクルマが真夏の渋滞でオーバーヒートすることはないし、スキー場で始動困難になることはないが、昔のクルマはそれが当たり前だった。そうならないためには様々なノウ・ハウが必要だった。今どきの新車は誰が運転しても大丈夫なように作ってある。さもなきゃ不良品である。生活だって同じ。今は夜中に急に甘いものが食べたくなったらコンビニに行けばよいし、ドン.キホーテなら薬だって買える。

昔のこれこれこう言うことは明らかに今よりも便利だった良かった優れていたと言う「こと」や「もの」は(筆者は思い付かないが)あるにはあるのだろうが、比較対照したら今の方が便利だし、特に今のモノの方が優れているに決まっている。特に機械の場合、もしも優れていなければ、それは人類の文明の否定になってしまう。今はあるが昔は全く存在しないもの(前述のIT系=パソコンやインターネットが代表)まで加えて比較すれば、お話にならない。

もしもこう言う論調で筆者(新しもの好き)が彼等(懐古趣味肯定派)と会話したとすると、彼等はきっと「昔はどこにでも空き地があって子供は自由に遊べた」「近所付き合いが存在しエリア全体での子供教育が成立していた」「駄菓子屋が懐かしい」なんてことになるだろう。但し、実際には筆者と彼等の会話=議論は有り得ない。筆者は根本的に価値観の違う人とは会話も議論もしないからである。

勿論、筆者が子供だった頃には、家の近所には沢山の空き地があったし、本物の駄菓子屋があったし、爆発力が強力な2Bもあった。小学校の学級は荒廃しておらず、テレビで一流企業の社長がぺこぺこ謝るようなこともなかった。偉いと言われる人は偉かった。あるいは偉いと思われていた。百貨店は何でも手に入る場所だった。百貨店の大食堂で食事をするのは子供からすれば充分に豪華な体験だった。

しぃかぁしぃ。例えば昭和30年代の日本の洋食はインチキだらけであった。スパゲッティと言えばナポリタン。早い話がパスタのケチャップまぶし。イタリア本国にナポリタンなんてメニューはない。また、当時のスパゲッティはアルデンテではなく、勿論、デュラムセモリナ小麦でもなく、つまりまがい物だった。赤玉ポートワインや蜂ハニーワインはワインじゃなかったが、それを一般庶民はワインだと思っていた。粉っぽくて不味い雪印の三角チーズがチーズだと思っていた。給食に出てくるマーガリンは冗談みたいに不味かった。その上、味の素である。筆者は味の素は我が国が発明した最低の工業製品だと思っているのである【笑】。

しかししかししかし。我々(あるいはそれ以前)の世代の場合、本物のイタリアンのパスタ料理よりもスパゲッティ・ナポリタンの方が、あるいはアルデンテではない、やや柔らかめの茹で具合のパスタの方が美味しいという連中もいる。そう言えば、前に渋谷に事務所があったときに良く行った、事務所の隣のビルの洋食屋のおやじ(シェフ)の作るパスタもいつもアルデンテよりもかなり柔らかめなのでそれを指摘したら、頑として「いわゆるアルデンテは嫌いだから」と言い張ったことを思い出した(勿論、何が好きなのかは各自の勝手)。

連想ゲームじゃないが、これで別のことを思い出した。普通、殆どの男性はおおよそ中学三年 or 高校一年ぐらいから以降は(体育会系丸坊主を除く)基本的に死ぬまで(頭髪量の減少による変化を除いて)髪型が変わらないのである。仕事中はスーツだし普段着の趣味も大きく変わることはない。これ、殆ど例外がない。例外として思い浮かぶのは筆者自身ぐらいである【爆】。

これで話が繋がった。子供の時の心象風景もベンチャーズもスパゲッティの食感や味付けも髪型も、普通の人はそれがそのままずっと自分の中の絶対的な価値観として継承されると言うことに違いないのだ。これはつまり、ある部分で時間が止まっていると言うことに他ならない。筆者はと言えば、基本ポリシーが「君子豹変す」【笑】であるぐらいだから、ベンチャーズよりはThe Beatles、The Beatlesの次はLED ZEPPELIN、アルデンテを体験して以降は二度とナポリタンなんか食べないし、髪型やファッション傾向はその時の趣味や嗜好で変わるのが当たり前。前から書いている通り、長嶋茂雄が現役引退して以降、プロ野球は一切見ない。上司や得意先と話を合わせるためになんて発想は勿論皆無。

これでもう一つの疑問も氷解した。それは「なんで世の中のおぢさん達はNHKのプロジェクトXを礼賛するか」である。筆者に言わせればプロジェクトXとは「その昔、主として団塊の世代の日本のサラリーマンやブルーカラーの戦士が必死になって頑張って世界を相手に数々の企業的・業績的な成果を上げた」と言うことを「過剰演出で語りあげる」が、それって「今となっては全部、過去の話」だし、「大抵の成果物=商品や企画や業態は今は殆ど別のものに取って代わられているか過去の遺物」なのばっかりじゃんじゃんってことのワンパターン番組。しかも、主題歌があれではもう共感なんかできないぞって呆れちゃうとしか言いようがないのだ(過剰演出の行き過ぎがあったらしく結局、番組打ち切りに追い込まれたのは筆者的にはご同慶の至りである)。要するにプロジェクトXは「飲み屋での過去の業績の自慢話を大仰なる番組に仕立て上げたもの」と言えなくもないのである。つまり、プロジェクトXも時間が止まっているのである。

ついでに言うと、懐古趣味があるのは間違いなく男性だけである。同世代と話していて昔話に花が咲く状態になるのは男性だけであり、女性陣は適当に話を合わせているだけである。筆者はどうやらそう言う意味の感性・感度から言うと女性に近いらしい。女性は過去を切り捨てる。筆者も同じ。

このDoromPATIOも過去の経緯ネタ(Infoディレクトリ)と現在のこだわり(That's談ディレクトリ)は明確に分かれている。過去ネタは記録魔だから情報として残っている(残してある)だけなのであって、だからどうだったと言うことには興味はない。例えばオーディオ趣味のページに最初から明記してあるが、ピュア・オーディオなんてものは今の時代では完全にシーラカンスであるし、完全に過去のものであるアナログ系(LPレコードなど)には今更、全く興味はない。CDよりLPの方が音が良いと主張するマニアは多いが「それはそれはご苦労様ですぅ」としか言いようがない。オーディオに関して言えば、筆者はiTunes&iPodで今や充分である。確かに筆者は「本当の良い音を知っている」が、それすら自分にとっては過去のものなのだ。

いずれにせよ、懐古趣味は趣味なのであるから肯定するか否定するかは個々人の勝手である。よって筆者は否定する。と言うか否定するも何もない。懐かしいと思わない=動機=モチベーションがないわけだから共感のしようがない。過去は進歩しない。現在には未来がある。懐古趣味を(無意識的に)肯定する人たちにとっては過去は浄化され洗練・美化されて停止した時間だから進歩や変化する必要がない。その状態がベストだからである(←これ、勿論、その趣味のない筆者の勝手な推測)。逆に懐古趣味が全くない筆者からすると過去はあくまで過去であり単純な事実の集積だから記憶しておくことは(情報や知識としては)大事だが、ただそれだけのことに過ぎない。

最後に懐古趣味皆無の筆者の「論理的な懐古趣味否定の根拠」を書いておこう。それは昨今の(主としてエレキ・)ギターの世界の通称「ヒストリカル・コレクション」と呼ばれる、GibsonやFenderの一連のカスタム工房製高級=超高額=ギターのことである。これらのギターの「売り」は下記に集約される。
  • 1954〜1959頃の製品のベストコンディションの再現
  • 機種はLes PaulあるいはStratocasterが殆ど

これ、別の言い方をするとこう言うことになるのではないか?

  • GibsonはLes Paulを超えるギターを作り出せない
  • FenderはStratocasterを超えるギターを作り出せない
  • 現行製品より50年も前の1950年代の製品の方が良かったことをGibsonもFenderも認めている(ことになる)

もしもギターをクルマに、Gibsonをトヨタに、Les Paulをカローラに置き換えて同じ事ならトヨタはすぐに倒産する。ギターとクルマは全く性格の違う商品だというのは詭弁に過ぎない。筆者はそう考える。だから筆者は(高額だから買えないという悲しい現実は別にして【涙】)この種のヒストリカル(ヒストリック)コレクションに興味がない。認めないと言っても良い。つまり、今や(昔あれほどあこがれた)Gibsonに欲しいギターがないと言うことだ。つまり。より新しく、そして当然より良いものを生み出せなくなった企業には筆者は興味はないのだ。

だから昔の時代の方が良かったなんて発想は当然、有り得ないのである。但し何ごとにも例外はある。例えば「ロック(Rock)」と言う音楽ジャンルに関して言えば、それは80年代初頭で燃え尽きているから、その時代がベスト。しかし、この場合には筆者として今がより良くあるべき必要の無いものだから、もうどうでもいいのだ。似て非なるのが「ジャズ(Jazz)」。昔のJazzより今のJazzの方が遙かにテクニカルで宜しい。テクニックが完璧だから予定調和無しに安心して聴ける。昔のJazzは例外的な天才(ピアノのアート・テイタムとか、トランペットのクリフォード・ブラウンとか)以外は今どきの天才プレイヤーには技術的に敵わない。Jazzはクラシックと対称の位置にある音楽だから本来は技術的に完璧である必要があるが、昔のジャズメンはそこまでの技術がなかったのだ。その昔のジャズ・ギターの速弾きの代表だったタル・ファーローを今聴くと、昨今のそこいらの普通のヘビメタ系の新人ギタリストの1/2〜1/4ぐらいの速度でしかないし、ミス・トーンも多い。じゃあインプロビゼーションはどうかと言えば、実はそれ程のものでもない。つまり技術レベルが全体に低かったのだ。別の言い方をすれば、Jazzは今でも進歩しているからいいのだ。

その点、本来は技術は二の次であるロックの場合は燃え尽きてネタが切れればお仕舞いなのである。技術が二の次なのはストーンズが未だに現役でやれることが証明している。ロックという音楽ジャンルが燃え尽きてしまったことは昔の有名バンドが次から次へと再結成されることで証明できる。新たな、そして有望なバンドが沢山あるなら本来は昔のバンドの再結成なんて必要がないのである。

いささか筆者の趣味方向に話がぶれたが、とにかく話を元に戻せば、なんで昭和30年代が良いと言うブームが起きたりするのかがさっぱり分からない筆者なのであった【笑】。
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