成毛滋、逝く - ギター四方山話 - guitar tips - DoromPATIO
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2007.04.07[土]
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Tips of Guitars - ピック - pick - DoromPATIO
成毛滋、逝く
戦後の芸能界の奇跡の存在=こと植木等が亡くなったと思ったら、その二日後の3月29日に成毛滋が死んだ。同期のバンド仲間から知らされるまで全然知らなかった。晩年は重度の腱鞘炎でギターが弾けなくなっていたと言うことは知ってたが。その成毛滋は学校の先輩である(筆者より5歳、年上)。この成毛滋という人は今から考えれば日本のエレキギター黎明期の先駆者の一人ではあって、特に70年代のLED ZEPPELINに代表される(日本では悲しいかなDeep Purpleに代表される)ハードロック・ムーブメントにおいて、日本国内のギタリストとしては人気も実力もトップクラスに君臨した時期があった人である。但し植木等とは違って、知っている人は知っているが殆どの人は全くその存在を知らない人でもあった。

確かに、我々の世代でLED ZEPPELINに感動して(或いはJimmy PageとLes Paulと言う組合せの格好良さにしびれて)本物のLes Paulは買えないからGrecoのLes Paulを買ったら必ず付属していた成毛滋監修実演の教則カセットテープでロックギター奏法の基礎を学んだ人間は多いのである。かくいう筆者は一人息子には目茶甘い父親がニューヨークから本物のLes Paulをお土産に買ってきてくれてしまったのでカセットテープは聴いていないが、当時の音楽雑誌に掲載されていた成毛滋の教則記事を読んで「8ビートピッキング(今で言う「オルタネート・ピッキング」)の原理を学んだのは事実である。

死んじゃった人のことをああだこうだと書き連ねるのはなんなんではあるが、最近若干填っている【苦笑】mixiなどの関連アーティクルを読むと、成毛滋のことを何も知らないのに「良く判らんけど凄い人だったらしい」ってノリになっているので、筆者の知る限りの事実を記しておこう。

そもそも成毛滋という人は某私大の標語と化している「独立自尊」が行きすぎて「独立自損」と言うか何というかな人であった。その詳細は下記に詳しい。
http://www.ne.jp/asahi/chelseas/terrace/DSA/menu.html

上のサイトには書いていないが、成毛滋はブリジストン財閥の縁者である。某私大は附属小から。なのでプロになって頭角を現してからも金持ちのボンボンが云々と言う批判が絶えず、頭に来て体育会系的必死さでスタジオミュージシャンなどのバイトに精を出し、日本で最初のWem(英国製)のP.A.システムを自分で稼いだ金で個人輸入したりとか色々と頑張った。何たって、この当時(60年代末〜70年代)の日本のロックコンサートの音響システムは呆れるほどに原始的であり、P.A.なんて概念は皆無で、ギターやベースはアンプから、ドラムは生音、ボーカルはボーカル専用アンプからと言うのがアマチュアもプロも当たり前の時代。つまり音量を上げればギターとベースしか聞こえなかったのである。これほんと。

では(ロック)ギタリストとしての成毛滋はどういう人だったのか? 上手いのか下手なのか? これについて筆者個人の評価をはっきり書けば「センスの悪い人」である。才能に恵まれた人ではなく努力の人であり、必死の練習をしたに違いない。なので最盛期は速弾きで有名だったし、上のサイトで末期のビデオを見るとバン・ヘイレンまんまのタッピング奏法やイングヴェイ・マルムスティーンばりのフレーズを(やや辛そうに)弾いている。つまり、その時期のトレンド的奏法をその都度、一所懸命に練習してマスターしていたわけであるが、じゃあ〜〜成毛滋オリジナルのプレイは?と言うと何もないのである。だから70年代の一番人気のあった頃の決めフレーズはまんまJimmy Pageの手癖三連符だった【爆】。

ちなみに筆者が初めて成毛滋を知った=生を観たのは日劇で行われた第1回ロックカーニバルである。このロックカーニバルは最後の日劇ウエスタンカーニバルが終わり、つまり日本中を席巻したGSブームが完全に終息し、いよいよハードロック(当時は「ニューロック」と呼んでいた)時代と言うわけで、メインアクトにジョン・メイオールを呼んで行われたイベント的コンサートなのだが、成毛滋は角田ヒロ(当時。今は「つのだ☆ひろ」)と二人でメインアクトの前座に登場したのである。

この時の成毛滋は左手でGrecoのLes Paulを弾き(つまりハマリングとプリングオフだけ)右手でハモンドB3を弾き、左足でハモンドのベースペダルを弾くというお得意の曲芸的演奏を披露。さらに途中のブレークでLED ZEPPELINのHeartbreakerのソロのまんまフルコピーを演ったりした。この時点ではテクニカルなことおびただしいわけだし、その前に出演していた様々なバンド(内田裕也とフラワートラベリンバンド他)とは段違いの演奏内容に大いに驚いた。

だから、この第1回ロックカーニバルがここで終わりだったら筆者は成毛滋信奉者になったかも知れないのだが、メインアクトのジョン・メイオールが、ドラムレスのトリオで、演るのはベタなブルースだけと言う滅茶滅茶地味なパフォーマンスを始めた途端、成毛滋のことなんて完全に消滅消失忘却の彼方になってしまったのである。それと言うのも、生まれて始めて観た「本物(いわゆる外タレ)」は、どこまでも本物であり(当たり前だ)グルーブ感があり、オリジナリティに溢れているではないか(これだって今となって冷静に考えれば黒人の本物のブルースマンからすれば白人がやっているコピーなのかも知れないが)。さらに、ジョン・メイオールをサポートする名前を聞いたこともなかったギタリストは速弾きなど一切しないのだが、最初から最後までブルースしており、ソロも殆どコード奏法による独特のものであり、いわゆる「泣き」も素晴らしかった。このギタリスト=ハービー・マンデルのギターには、とにかく目から鱗が落ちまくったのである。ドラムレスのバンドのリズムを担当するベーシストも滅茶苦茶上手かった。だからドラムがないことが何のハンディキャップにもなっていなかったのである。つまりつまり要するに、成毛滋を含む全ての日本人のバンドとはレベルが違いすぎるぐらいに「上手かった」のである。

それと比べたら成毛滋のギターには「味」も「センス」も「ため」も「泣き」も、そして何よりもプロとして一番大事な「オリジナリティ」も何にもない。これは、この最盛期から晩年まで変わらなかった。だから「上手いか下手か?」と問われれば「センスがなかった」としか答えようがないのである。

成毛滋を次に観たのは武道館。ニューロックから派生してジャズロック(当時、フュージョンと言う言葉はなかった)が流行りだした頃、ナベサダの大編成コンボバンドのゲスト・ギタリストが成毛滋だったのである。武道館の広いステージにナベサダのバンドのメンバーがずらっと並ぶのだが、その途中に唐突にMarshallの3段スタックが聳え立っており、その前にLED ZEPPELIN初期のJimmy Page風のルックスで決めた成毛滋。しかしジャズ系の演奏は得意じゃないのは明らかであり、肝心要の自分のギターソロのところで「入り」を間違え、ナベサダが合図を出して数小節遅れでバンドとはまるでそぐわないバリバリのオーバードライブサウンドと明らかに大きすぎる音量で、いつもの成毛滋手癖フレーズ・オンパレードのソロを弾いていた。筆者はロック系の人だから、ジャズ系のバンドの中でロック系のギタリストが恥をかいているとしか見えなかった。つまり思いっ切り格好悪いパフォーマンスであったのだ。

最後は帝国ホテルの一番大きな宴会場でのダンスパーティ。これ「鍛心会」と言う、某私大に昔からある(名前からも想像が付くように)分かり易く言えば右翼系の団体)のダンパー(←死語。ショックアブソーバーのことではなくて、ダンス・パーティの省略形)。成毛滋は鍛心会のOBなのである。バンドは(伝説の【笑】)フライドエッグ。つまりギター=成毛滋、ベース=高中正義、ドラム=角田ヒロ。ダンパーだから、それに合った曲を演奏するというような発想は成毛滋には全く無く、演奏したのは全てフライドエッグのアルバムから。つまりマニア以外は誰も知らない【笑】ストレートなオリジナルのハードロック・オンリーであった。

で、筆者は成毛滋自慢のWemのP.A.の巨大なスピーカーシステムの真ん前に居たのだが、演奏が始まったその瞬間、マジで鼓膜が破れたかと思ったし、音圧で身体が吹っ飛ばされるというのをもろに体験した。とにかく、今までに一度も経験したことのない馬鹿でかい音が宴会場に鳴り響いた。帝国ホテルや他の宴会場の客にとしてみれば堪ったもんじゃなかっただろうが、本質的にロック好きの筆者にすれば、確かに音は良かった。演奏は成毛節そのもの。当時の日本のロックバンドという条件の中では上手いことは上手いが、これまで述べてきたこと全てを集約した演奏であった。しかしとにかく、かぶりつき大音量は快感ではあった(が、ダンパーだと思ってやって来た連中にはうるさいだけだったであろう【爆】)。

とまぁ言うようなわけで三回見た生演奏はいずれも大したもんではなかったわけである。また、今や幻と言われている二枚のLPも持っていたが(現在は処分)、これまた大した作品ではなかった。LED ZEPPELINやELPを真似損なったような曲のオンパレードだし、成毛滋のギターソロはどれもこれも手癖指癖フレーズの連続なので、どれを聴いても同じなのである。今でもTSUTAYAなどで容易に手に入るカラオケ定番曲の「メリージェーン」のギターソロもどうってことはないわけだし、安西マリアの「涙の太陽」の途中のソロはまるっきりDeep PurpleのHighway Starのパロディーである(前述のスタジオ・ミュージシャンとして稼ぎまくっていた時代の演奏のひとつ)。

成毛滋がその昔の大昔の「勝ち抜きエレキ合戦」で4週連続優勝したのは事実だし、「(これは本当の意味での)伝説」のウッドストックを体験してロック・ムーブメントの本質に目覚めたのは本当だろうし、その後、クリーム → LED ZEPPELIN → ELP、ユーライア・ヒープなどを一所懸命コピーして音楽専門誌や教則カセットやラジオ番組で「正しいロックギター奏法」の啓蒙に努めたのも事実である。努力家として(前述の)LED ZEPPELINのHeartbreakerのソロをフルコピーしていたのも確かである。いい加減にはコピーした筆者が成毛滋のフルコピー版を実際に聴いて書いているのだから間違いない。それにしても、あの手のソロの後半部分まで完コピするってのは無意味だと思うが。だって、大きく分ければ(分けなくても)テクニカル系ではない(つまり個性はあるがギタリストとしてはクラプトンやジェフ・ベックには大いに劣る)Jimmy Pageの手癖の連続のミスタッチだらけの速弾きを完コピしても何の得にもならないのだから【きっぱり】。

と言うことから「ればたら的」なことを書けば、成毛滋がもう少し普通の性格気質だったら、便利な職人ギタリストとして色々なバンドを渡り歩いて、そのバンドのギターソロのクォリティをアップするという役割を演じたことが出来たのかも知れない。そうすれば、ちゃんとした作品が残っていたかも知れない。

しかし、歴史に「もしも」は無かったのである。そもそも、ギタリストはギタリストである前にミュージシャンでなければいけない。成毛滋の場合はギタリストとしてのオリジナリティも最期まではっきりしなかったが、オリジナリティはあるがギタリストに留まり、結局はミュージシャンになりきれない代表選手と言えばイングヴェイ・マルムスティーンが居る。インギー君の場合、アルカトラズでの衝撃のデビュー以来、演っていることはずっと同じ「インギー節」である。今も驚き呆れるほどの速弾きだが昔も速かった。そしてフレージングの基本はずっと変わらない。つまり言葉を変えれば進歩や変化は全く無い。それはある意味、個性=オリジナリティという意味では素晴らしいと言えなくはない。音色を含めて、聴いた瞬間にインギーだと判るわけだし。しかしバンドが維持できない。我が侭すぎるのである。だから最近はCDを作る時はベースやドラムまで自分で演奏しているらしい。コアなファンは居るだろうが、発展や拡大はない。

これに近いが、しかし似て非なる存在がジェフ・ベックで、同じくバンドは維持できず我が侭であるが他の誰とも違うギターを弾く。結果、時期によって新しいメンバーとバンドを組んで好きな音楽を発表するというパターン。滅茶苦茶上手いのだが、商業性がないのである。ちなみに、アラン・ホールズワースも全く同じタイプである。

こう言う(ある意味、可哀想な、あるいは不器用で商業性に欠ける)人達の対極の存在がJimmy Pageである。Jimmy Pageはギタリストやミュージシャンであるより遙か以前にプロデューサーである。LED ZEPPELINを組む直前の時期に「こう言う音楽を演ろう」そうすれば「絶対に売れる=儲かる」と言う明確なビジョンがあり、それに必要なメンバーを集めたのだ。その結果はどうなったか? 音楽的には明らかにマジック(想像を超えた奇跡の成果……と言うようなニュアンス)が起きた。商業的には(The Beatles以降最大の)驚異の大成功となった。ボンゾが死んだらきっぱりと解散した。その後、よせばいいのに幾つかのバンド・プロジェクトやサントラ制作をしたが成果無く終息し、しかし、近年はLED ZEPPELINの音源と映像のデジタル・リマスタリングと言う新しいマジック(こちらは金鉱脈という意味である)を発見して稼ぎまくっている。

Jimmy Pageのギタリストとしての実力はそれほどではない。しかし、最盛期のJimmy Pageほどに格好良くギターを弾くギタリストは居なかったし、今後も二度と現れないだろう。ロック・ギタリストは何よりもまず、格好良くなければいけないのだ。そして、音楽家としての稼ぎは恐らくポール・マッカートニーの次ぐらいに凄いだろう。つまり天文学的である。

成毛滋に話を戻そう。70年代の成毛滋はJimmy Pageの信奉者でありフォロワーであった。髪を伸ばし、初期のLED ZEPPELINの頃のJimmy Pageと同じニットのベストとジーンズを履いていた。ギターはLes PaulそっくりのGrecoだった。勿論、アンプはMarshall。しかし、成毛滋はJimmy Pageの本質=つまり、プロデューサーとしてのJimmy Pageはコピーできなかった。ギターのフレーズは完コピし、ルックスは真似ようのない長い手足と女性的な顔を除けば同じだった(つまり、全然違った)。

商業的には全く成功せず、やがてキーボードが弾けることもあってプログレ方向に走り、やがて音楽シーンからは消えた。消えて久しいある時期に筆者は冒頭のサイトを見付けた。一時期、成毛滋と一緒に活動した二人、つまり、つのだ☆ひろと高中正義はそれなりのポジションで活動している。

結局、成毛滋とはどう言う存在だったのか? あるいは成毛滋とは何だったのか? それは、改めて前述のサイトのアーティクルと写真を見ると判るような気がする。成毛滋がギタリストであるとするならば、名を残すためには名演か名曲がなければいけない。しかし、唯一、普通に手に入る成毛滋がソロを取っている曲である「メリージェーン」は誰もが「つのだ☆ひろの曲」として認識している。ワイルドワンズが「想い出の渚」だけで一生、食えるのとは大違いと言うことだ。

サンタナなら「君に捧げるサンバ」や「哀愁のヨーロッパ」、ジェフ・ベックなら「哀しみの恋人達」、ロイ・ブキャナンなら「メシアが再び」……などなど、名を残すギタリストは「これ」と言う曲がある。Jimmy Pageやクラプトンのように商業的に大成功した連中なら書ききれないほどの名曲と名演がある。日本を考えたって、高中なら「黒船」、Charなら「Smoky」や「気絶するほど悩ましい」……などなどである。

つまり。知る人ぞ知る、知らない人は全く知らない。そして知らない人の比率が(今となっては)99%……と言う存在だった、孤高の、生き方がとっても不器用な、異常な努力家、それが成毛滋であったのではないだろうか?

合掌
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