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2003.02.10[月]更新
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映画三昧 - DoromPATIO
■ スターリングラード・他
戦争映画の表現レベルは「フォレスト・ガンプ」で変わった。「フォレスト・ガンプ」は戦争映画ではないが、主人公のフォレスト・ガンプがベトナム戦争に従軍する場面でのベトコンとの遭遇戦における「跳弾」のリアリティはCGの見事な利用例であり、その場面では観客は思わず一瞬、身がすくみ、まるで立体映画を見ているように頭を避けてしまうほどの迫力があったのである。
その路線を更に押し進めたのが「プライベート・ライアン」であり、冒頭30分のノルマンディー上陸作戦の「実相」とも言うべきリアル(過ぎる)戦闘シーンは映画館の観客全員がショックで全員、押し黙ってしまうほどであった。
この結果、子供の頃に見た「史上最大の作戦」と「プライベート・ライアン」が同じ「D-Day:ノルマンディー上陸作戦」を舞台としているとは信じられないぐらいに観客に与えるインパクトが違ってしまう。「史上最大の作戦」の場合は戦争を俯瞰している感じになるが、「プライベート・ライアン」は参戦しているのに近い感じになる。分かりやすく言えば、自分(観客)が上陸用舟艇に乗船している気分になるのである。「プラトーン」や「キリング・フィールド」や、あるいは邦画の「人間の条件」のような意図的な残酷描写をせずに、CGと特殊効果と特殊メイキャップと巧みなカメラアングルによる極めてリアルな戦場の淡々とした描写が結果的に戦争の残忍さ凄惨さ悲惨さを直接的に訴えかけるわけである。過去の映画がどんなに悲惨さや残酷さを強調しても、観客はあくまで観客の立場でそれを鑑賞しているだけだが、新しい方法論は観客を兵士として映画の場面という戦場に放り込む。そうなると観客個々の感情移入の程度の差違は無視され、強制的に戦争を体験してしまうのである。
これは正に映画表現技術の勝利だろう。

誤解があるといけないので蛇足的に書けば、既に超駄作大作であることが確定しているらしい「パール・ハーバー」の特撮シーンは(現時点では予告しか見ていないが)「プライベート・ライアン」などとは特撮の使い方が違う。日本軍の艦上爆撃機が投下した爆弾の目線で、アメリカの艦船の甲板への命中までを追いかけるCGは見事の一語だが、あれは観客が戦闘に参加したことにはならない。何故なら、爆弾に掴まって戦艦に舞い降りる兵士は居ないからである。もしも特攻機のカミカゼ・パイロットの目線なら話は違うが「パール・ハーバー」の制作ティームは「インディペンデンスデー」と同じなので、狙いが違うのである。「パール・ハーバー」の特撮は映画スペクタクル的なリアリティ=現実を越えたリアリティなのである。
なお「パール・ハーバー」がどんなに駄作でも戦闘シーンだけは見たいので、ビデオ化されたらすぐにレンタルビデオ屋に走る予定。

さて、本題。
最近レンタルが開始された「スターリングラード」は「フォレスト・ガンプ後」の映画だから、映画の冒頭10分後ぐらいからの赤軍(ソ連軍)がボルガ川を決死渡河するシーンのリアルさは演出の巧さもあって「プライベート・ライアン」の冒頭シーンに匹敵する。戦史上最も激しい市街戦と言われるスターリングラードの攻防がどれほど過酷なものだったのかが良く書けた小説以上に理解できるのである。
よって戦争映画好き、歴史(戦史)好きにはたまらない映画であることは間違いない。この映画で初めて見た主人公ザイツェフ(ソ連側の狙撃兵)を演じるジュード・ローは何となく雰囲気がジャン・クロード・バンダムのようで役柄には不釣り合いなハンサム・タイプだと思っただけだったが、例によって例のごとく損な役回りを演じるエド・ハリス(ナチス・ドイツ最高の狙撃教官ケーニッヒ少佐)が哀愁を帯びた、何ともいい味を出している(ショーン・コネリー主演の「ザ・ロック」でもエド・ハリスはがっかりするほど損な役回りをやっていた)。

ところがこの「スターリングラード」。最後の5〜10分がいただけない。映画の99%は戦争の不条理と、集団戦とは別の時間軸・別の次元で戦闘活動を遂行する狙撃兵と言う特殊な存在を描いているというのに、ラストシーンだけはまるっきりの普通の恋愛映画的盛り上がりでハッピーエンドになってしまうからである。「スターリングラード」がいわゆるハリウッド映画に属するのかどうかは知らないが、これは幾らなんでもまとめすぎのご都合主義だろうとしか思えない。
それを除けばお薦めの映画である。だから筆者としては、もしももう一度、見ることがあれば、二人の狙撃兵の決着が付いた時点でいきなり自分でエンド・マークを入れてしまう(リモコンでストップする)だろう。
なお「狙撃」あるいは「狙撃兵(狙撃手)」と言う概念と存在は非常に特殊なので従来の戦史などでは殆ど扱われていない。だから、その辺を理解したいのであれば「極大射程(新潮社文庫)スティーブン・ハンター(あるいはこの作者の一連の作品)」がお薦めである。極端にストイックでプロフェッショナルな狙撃手の実態が理解できる。

エンディングで「それはないだろう」と激怒したのは「ハンニバル」も同じだった。しかも「ハンニバル」は劇場で見たのだからたまらない。1,800円返せ!!の世界である【苦笑】。「ハンニバル」は事前に原作を読んでいたし、前作の「羊達の沈黙」は映画としても名作だった。ところが「ハンニバル」は「羊達の沈黙」のような緊迫感が無く、レクター博士も全然怖くなく、しかも、結末が原作とは全く違っちゃっているのだからどうしようもない。
「ハンニバル」はレクター博士もの三部作の最後の作品であり、だからこそ結末に意味がある。それを180度変えちゃっているんだから何をか言わんやなのである。
だから「映画:ハンニバル」で納得の行かない人は必ず原作を読むことをお薦めする。それは「映画:ダミアン3」のラストシーンに匹敵する怖さを約束するのだ。

「スターリングラード」の前の週にワイフが借りてきたのが、キアヌ・リーブス主演の「ザ・ウォッチャー」。「今度のキアヌは助けてくれない」がキャッチ・コピー。つまりキアヌ・リーブスが連続殺人鬼役。
映画としての評価はキアヌ出演作で最低だと思う。とにかく全然、面白くない。
「スターリングラード」と同時に借りた「バーチカル・リミット」は劇場で見ないと迫力が半減するようでイマイチ。ストーリー中の時間設定が妙にキッチリしているのも納得できない。遭難による脱水症状で肺水腫で死ぬのがぴったり22時間後と特定できるもんじゃないだろう。この映画で一番迫力があったのが冒頭のロック・クライミングで事故が発生する瞬間のシーンだと言うのも演出上問題だと思う。肝心のクライマックスシーンのこれでもかこれでもかのドキドキシーンは冒頭のものほどのインパクトがないからである。

但し「バーチカル・リミット」は今だからこそ見る価値がある部分がある。それはベース・キャンプの舞台がパキスタンという設定だからだ。そのため、ベース・キャンプのすぐ近くにはパキスタン軍の砲座があり、インドへ向けての発砲シーンもある(向きを90度、北へ振れば、そこはアフガニスタンの筈だ)。そして登場するパキスタンの軍人達は観光収入源である脳天気な西欧人達に諂(へつら)う。さらに興味深いのは西欧の富豪の趣味と自己顕示欲と自分の会社の宣伝をかねた登山(に失敗して救出騒ぎとなるのが「バーチカル・リミット」のプロット)の為に集められた現地の貧しいシェルパ達と、設備の整った豪華絢爛とも言える西欧ティームのキャンプの様子の対比が「こんなことやってるから反感買うんだよ。だからテロが無くならないんだよ」と思わせることである。
話は脱線するが、米国同時多発テロの遠因の一つはキリスト教国とイスラム教国の貧富の差にある。この問題だけを客観的に見れば、国家運営・経済運営に失敗したイスラム教国が悪いのだが、貧富の差が大きすぎればそこに軋轢が生じるのは当たり前である。衣食住足りれば礼節を知るが、衣食住足りなければ不満はテロに向かうのである。

ところで先日。ワイフがテレビでやたらめたらと宣伝しまくっている「陰陽師」を見に行った。当然、邦画嫌いの筆者は最初から行くわけがないし、そんなことは向こうも百も承知だから彼女は妹と出掛けた。行ったのは日曜日の早朝だったが映画館は満員で見れたのが午後一番の部だったそうで、夕方になって帰ってきた。
そして帰宅したワイフは筆者の顔を見るなり、ただひとこと。
「何も聞かないで」。
それ程、酷い内容だったと言うことである。邦画に期待するのが悪いのである。但しワイフは後で「野村萬斎が見れたからいいの」と強弁していたが。

なお日本のチャンバラ映画の表現方法に革命をもたらしたのは筆者的には「三匹の侍」である。つまり革命家は五社英雄監督と言うことになる。それまでのチャンバラは日本的様式美の世界と(観客側の)暗黙の了解で行われ、つまり斬られても血は出なかったし、斬った時の音なんてものはなかった。
ところが「三匹の侍」では「どぴゅっ」とか「ずざっ」と言ったリアルな「肉を切る音」が効果音として使われたのである。この効果音は擬音ではなく、実際に肉の塊を使ったりして苦労して作ったものだったというが、とにかく滅茶滅茶リアルで当時は大きな話題となったし、おぢさん世代としては未だに印象に残っている。
但し黒澤明監督の「椿三十郎」のラストの一瞬の凄さ(こちらは音と言うより殺陣の斬新さと血しぶきの物凄さ)が1962年で「三匹の侍」が1963年(テレビ版。映画版は1964年)だから、つまり黒澤&五社の二人がチャンバラを一歩前進させたのだろう。
それにしてもハリウッド映画で日本刀が出てくるとガッカリである。あれじゃ青龍刀を振り回しているみたいじゃないか。ハリウッドの監督連中は黒澤ファンが多いのだから、ちゃんと黒澤作品を研究して欲しい。勿論、邦画の銃器の扱いがまるでなってないってのもあるので、結局はどっちもどっちなのだが。

追記:最近(2002年秋時点)填っているCATVのヒストリーチャネルの第二次大戦回顧録ものの中の「スターリングラード」によれば、ソ連側の狙撃兵ザイツェフは実在の人物だそうである。そして、ソ連軍の狙撃による被害が大きすぎて困惑したドイツ軍が狙撃教官クラスの高級将校を送り込み対抗したのも事実。さらに、その高級将校がソ連側の狙撃兵に撃ち殺されたのも事実だそうである(但し名前はケーニッヒではないようだが)。なお番組によればザイツェフは実にドイツ兵500人以上を狙撃したそうであるが、これはスターリン的なプロパガンダの成せる技であるような気がしないでもない。
なお、他の資料や小説によればソ連が狙撃については卓越した戦略と技量をもっていたのもこれまた事実である。ハリウッド系アクション映画に欠かせないFBIやSWATティームあるいはスナイパーによる狙撃シーンだが、狙撃と言う概念を歴史的・技術的に辿っていくと旧ソ連の天才的狙撃教官に行き着くのである。この辺のことについても前出の「極大射程」に詳しい。
猫 チンチラ 来夢&来喜
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