DoromPATIO DoromPATIO
topPage
information
That's談
Link
来夢&来喜日記
日々雑感
Guitars
Macintosh
DoromPATIODoromPATIODoromPATIODoromPATIODoromPATIODoromPATIODoromPATIO
2007.04.29[日]
topPage
2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010
日々雑感 - DoromPATIO
■ GWと関係のない日々雑感
日々雑感 - DoromPATIO
とぉ〜っても庭と借景

昨年の草刈と除草剤散布は自然の生命力の前には無力。庭は色々な種類の雑草が青々と茂り、綺麗な花が咲いている。これはこれでいいのではないか? そして世の中はGWだが、例年通り出掛ける予定は無し。わざわざ混んでいるところに行く趣味はないし、お金もないし【爆】。と言うわけでGWは普段の日常と全く変わらない日々である。
日々雑感 - DoromPATIO
雑草はたくましく美しい

「セカンドライフ」と言うのが流行語になっているが、これの意味には大きく分けて二つある。ひとつは今年から始まる団塊世代の引退後の生活=第二の人生。もうひとつはアメリカで流行り始めたバーチャルな世界の名称である。

この後者の方のセカンドライフのMacintosh版の実行環境がリリースされたので試してみたが、とてもじゃないが使えない。何でかと言えば、余りにも重い(動作が遅い)からである。ざっと触った限りでは操作方法も良く分からなかったが、とにかく動きがとろいものは使う気にならない。なのでインストールしてレジストして15分後にはアンインストールして退会した。もっとも、仮に軽快サクサクの動作環境でも填ることは有り得ないと断言できる。何故ならば筆者はコンピュータゲームにはあんまり関心がないからである。

ちなみに、いわゆるTVゲームはファミコン → スーファミ → 初代プレステまでは持っていたが、そこまで。中で多少は填ったのは初期のスーパー・マリオと最初のゼルダの伝説ぐらいのもの。要するにコンピュータゲームをする時間があるならMacintoshを触っている方が楽しいと言うことに尽きる。そのMacintoshでゲームをやることも殆どない。

バーチャルじゃない方のセカンドライフについては筆者は対象年齢じゃないから直接は関係ないのだが、基本的に団塊の世代は(仕事優先であったからであろうか)趣味に疎いらしく、これから新たに趣味や楽しみを見付けて老後を楽しむというスタンスらしい(と、新聞などに書いてある)。そして、それを企業が新しいマーケットとして狙っているらしい。だから例えば「『おやぢバンドブーム』を狙って」なのだろうか、全面改装した銀座山野の楽器売り場はお茶の水界隈の楽器街と完全に差別化して、ガラスのショーケースに高級品をずらっと並べたんだそうな(元々は銀座界隈在住のバンド仲間からの情報)。するとGibsonやFenderやモズライトの本物で揃えた60年代のアマチュアおやぢバンドがこれまで以上に沢山結成されるのだろうか? 演る方は楽しいんだろうが聴かされる方は堪らんぞ【爆】(もっとも、立場上は、あんまり人のことは言えないのではありますが)。

なお、Yahooセカンドライフなんてややこしいものもある。これは要するに団塊の世代をターゲットとした情報ポータルと思われるが、およそ面白そうじゃない。

現実のセカンドライフの保証のひとつに保険があるが、これが信用できない。朝刊一面に「損保不払い38万件、294億円」なんて大見出し。これは損保だが生保だって似たようなもんだろう、多分、と連想しちゃうのは当たり前。要するにコンプライアンスもへったくれもあったもんじゃない出鱈目蔓延の世界。北野タケシの名言=赤信号、みんなで渡れば怖くない=そのものじゃないのと。滅茶苦茶もここまで来ると人間、慣れてしまうらしく、今更ニュース価値がないのか、殆どテレビで取り上げられないってのも、もの凄い話ではある【爆】。

「◎◎原理主義(者)」なる言葉がある。一時期、大学に於ける原理研の存在が問題になったこともあった。原理は何を指すのか? その意味するところが良く分からない場合は最近は何でもかんでもインターネットな筆者。ググる(=Googleで検索する)と、大抵はWikipediaの関連項目を読むことになる。すると関連語をどんどんと参照するので下手をすると最低1時間以上はWikipedia三昧となる。これが結構、面白い。それはさて置き……

昨今、テロ事件などで記事に出てくるのは大抵はイスラム原理主義(者)とやらだが、Wikipediaによれば原理主義というのは日本語(日本国内通用語)で、元もとは根本主義。語源はFundamentalism。分かり易く言えば、例えば(キリスト教の)聖書(バイブル)に書いてあることは無謬に正しいとする考え方。対象がイスラム法典でも同様である。Fundamentalismでは、教典なり法典なり聖書なりに書かれた言葉は神の啓示そのものだとされる。このことは科学的には有り得ない(証明のしようがない)が宗教と科学は対極的概念だから両者の立場は歩み寄りようがない。科学の側の立場でどう突っ込もうが、そうだと信じている信者を説得することは出来ないし、信者の側が何をどう説明しようと科学的立場の人間が納得するはずもない。

と言うわけでFundamentalism≒原理主義は宗教の問題だから論評しても意味がないのだが、これが日本国憲法絶対堅守主義・憲法9条絶対視主義つまりは日本国憲法原理主義(なんて用語はないが意味は通じるだろう)となると話は違う。

日本国憲法は神の啓示でも何でもなく、間違いなく生身の人間が書いたものである。しかも時のGHQ(≒米国政府)の圧力と意向を受けながら当時の政治情勢と地政学と日本の円滑なる統治と天皇制護持の(当時の事情から考えれば恐らく最良の)妥協の産物である。つまり無謬であるわけがない。絶対的なものであるはずがない。神聖でもなければ金科玉条でもない。制定から時間が経過し、様々な事情が変われば憲法の中身に変更が加えられる方が自然なのである。あるいは百歩譲ったとしても、良い意味で批判的な姿勢で憲法の内容を検討することは正しい行為なのである。

ところが土井たか子のような「憲法原理主義者」にとっては日本国憲法は、そして特にその第9条は神聖不可侵絶対堅持、日本国のレーゾンデートルになっちゃうのである。つまり連中にとっての日本国憲法(の条文)は神の掲示と同じく無謬であり変えてはいけないものなのだ。そんなアホな。

ところが一方で、妙に憲法改正を急ぐように見える安部政権(と自民党と公明党)が居る。国民投票法案はあれよあれよという間に審議を通過してしまったようだが、最近のやる気も力も無い野党は本気で抵抗しているようには見えない。世論も無関心のようである。もし本当に憲法を改正するとなれば、本来は60年安保、70年安保並みの国論を二分するような大騒ぎになってしかるべしだと思うのだが、そんな兆候などまるでない。なんでだ? みんなどうでもいいのか?

そう言えば。集団的自衛権がうんちゃらかんちゃら、我が国への北朝鮮からの攻撃に備えたミサイル防衛構想がどうの、そして、その配備の一部開始などの一連の動きの中で、政権与党の誰かさんが「アメリカに向けて発射されたミサイルを日本の防衛システムで迎撃するのは集団的自衛権の法律解釈上、如何なものか?」と来たもんだ。馬鹿か、こいつは?

てぇことは日米安全保障条約は相互的なものではなく、純粋にアメリカが日本を守ってくれることだけを保証する条約なわけ? 日本が攻撃されたときはアメリカが日本を守ってくれるけど、アメリカが攻撃された場合は傍観するってわけ? その価値判断の基準と根拠は条文解釈であって、信義則や相互信頼は関係ないってわけ? と言うことは、自民党だって日本国憲法解釈主義的原理主義者じゃないのよ。つまりやっぱり井沢元彦は正しいというのが筆者の結論である。そう、日本は言霊の国なのである【爆】……って、ちょっとこじつけ?※
※ちょっとこじつけ:井沢元彦に依れば言霊とは言葉として発した文言は霊力を持つという考え方だから、「書かれたことは全て正しいから全て信じる」あるいは「条文解釈は信義則を超越する」みたいな話とはちょっと(いや、だいぶ)違うからである。しかし、いずれにせよ、非科学的・非現実的であることには変わりはない。

かくして憲法記念日を前にしてとんでもない結論になっちゃったのだが、まぁ、日本なんてこんな程度の国であろう【爆】。つまるところ「戦争になったら守ってください、アメリカさん。でも、アメリカが攻撃されたら何のお役にも立てません。だって日本国憲法がありますから」って意味のことを政治家が公言している国が国際的地位なんか得られるわけがないんだから。

日本を守ってくれる約束になっているアメリカも結構、程度が低い。つい先日、ワシントンを拠点とした高級売春組織が摘発されたのだが、その女性オーナーが裁判での徹底抗戦をぶち挙げており、全部で15,000件の顧客名簿の一部をABCに手渡したのだ。この結果、政府高官一名が突如辞任。その政府高官は以前はエイズ対策の担当責任者で、在任中には「禁欲もエイズ防止のひとつの方法」と説いていたと報道された。公的立場では禁欲を説いていた政府高官がプライベートでは高級エスコートクラブの常連だったなんて、それじゃまるで風刺コメディー系のハリウッド映画そのものではないか【爆】。

最近、滅多に出掛けないので久々に電車に乗ったらiPod愛用人口がますます増えていることに呆れてしまった。しかも、今や年代も中学生から老人まで、やたらめたらと広いのに二度びっくり。かく言う筆者は臍曲がりなので、今や出掛けるときには大抵はiPodを持って行かない【苦笑】。持って行く場合は音楽は聴かずミュージックビデオなどを鑑賞する。これ、時間潰しには実に宜しい。

劇場で観なかったので「超大作トロイ」をテレビで観たのだが「アキレスのアキレス腱は女性だった」ってだけの話だったのねのねのねのね【笑】。

その前にテレビ東京でやっていた「ハンニバル」はもっと酷かった。劇場で観たときも原作とオチが違うから良くまぁ原作者が映画化を許可したもんだと書いたのだが、テレビ版は残酷シーンをズタズタにカットしているのでストーリーがまるで判らないではないか。

「スパイダーマン2」もテレビで観たが、演っていることは殆どスーパーマンなのね。スパイダーマンがそんなに強いとは知らなかったぞと【爆】。とにかく、アメコミ・ヒーローものは余りにも類型的※で苦手である。
※余りにも類型的:暗い過去 → ヒーローに変身 → 悪者と戦う。普段は冴えない一般人。英雄と普段の自分の狭間で悩む。以上、全部、同じ

テレビと言えば、相も変わらずグルメ番組の洪水。また、最近は「ちい散歩」のような身近なタウンガイドみたいな番組の亜流がやたらと多い。グルメ系番組もタウンガイド系番組も共通点はひとつ。番組に登場する店は宣伝になるから取材費は掛からない(筈)。つまり極低予算。しかも一定の視聴率は取れるという寸法。何ともせこい話である。また、これらの番組に登場する料理や食材は全て「まいう〜(c)デブや」と言うことになっているが、そんなことは絶対にないのである。

テレビと言えば……をもうひとつ。これからの時期、筆者的に一番、腹が立つのはニュースなどに野球関係の報道が割り込んでくることである。この場合、日本国プロ野球もMLBも区別はない。幸いにしてプロ野球中継そのものは減ったから嬉しいのだが特にMLB関係の過熱報道はどう考えたって行きすぎである。

新丸ビルがオープンしたら初日に13万人弱が押しかけたとか。六本木ヒルズがオープンした時も暫くはとんでもない人出だったし、防衛庁跡地の東京ミッドタウンも凄かった。全く暇人が多い。しかし、こう言う現象で一番、困っているのは多分、都内の百貨店だろう。一説には今や百貨店は「デパ地下でもっている」とまで言われている。何をか況やとは正にこれである。

百貨店という業態に未来はないと言う話は以前に詳しく書いたが、その要因の代表である「オーバーストア」は全く解消されていないし、有力なる別業態(その代表が前述の複合ビル型大規模商業施設)は次から次へと出来るんだからどうしようもない。

本来、オーバーストア解消の切り札であるはずの合従連衡と言うか合併統合についても、やっとこさ、大丸と松坂屋がくっつき、伊勢丹と東急が提携したが、前者はそれぞれのブランドは残すし店舗の競合がないことがくっつく理由だから店舗数は減らないし、後者はマーチャンダイジング力皆無の東急に伊勢丹が商品供給するという話だから、これまたあくまで現状を維持するための策であって、百貨店業界全体を俯瞰的に観てどうのこうのという話では全く無い。

以上の話を軍艦に例えて説明すると、世の中はとっくの昔にイージス艦と空母機動部隊の時代になっているというのに、日本中の大都市には未だに大艦巨砲主義の戦艦大和や武蔵や長門や扶桑や金剛が何10隻も浮かんでいるという構図なのである。世界で最初に航空機によって戦艦と巡洋艦をまとめて撃沈したのは大日本帝国海軍航空隊なのに大艦巨砲主義を捨てなかった故事と同じく(近年であれば弱小なはずのアルゼンチン海軍が発射したフランス製エグゾゼ・ミサイル一発で、遙かに強力なはずの英国海軍の旗艦が撃沈されてしまう時代だなんてことはフォークランド紛争で証明されているのに)100年前のノウ・ハウである百貨店という業態にこだわり、競合と言えば合併先・提携先とのことしか考えないんだから救いようがない。

そもそもオーバーストアというものはエリアで考えるべきものである。エリアとは普通は主要都市を指す。東京や大阪の場合は銀座や梅田のような大規模繁華街を指す。ひとつのエリアの商業的規模は決まっているので、そこに必要以上の百貨店があれば当然、勝ち組と負け組が出てくる。複数の百貨店がそれぞれに個性的でありターゲットも違うなら共存は可能だが、日本の百貨店にそんな差違はない。であれば、とっとと現状を認めて廃店ないし業態変換をすればよいがそれもなかなか進まない。合併したって前のブランド(屋号)を残すぐらいだから、百貨店の人間はあくまで現状維持と(可能性のない)将来的発展(根拠のない状況改善)を期待しているのだ。これも一種の言霊思想だろう【苦笑】。

広大な大学キャンパス内での史上最悪の銃乱射事件のあと「だから言ったじゃないか。大学への『正しく入手した護身用の拳銃の持ち込み』を許可しろと(それは否決された)」と声高に主張する米国銃所有者協会法律顧問の発言を記事で読んだ。一部の州では実際に大学への(護身用の)銃の持ち込みが許可されているらしい。

銃があるから犯罪が起きるという発想(考え方)と、銃があるから自分が守れるという発想(考え方)は前述の原理主義と同じく相容れようがない。警察や軍や一部の政府組織以外は民間人も犯罪組織も一切、銃は持っていないなら話は簡単だが、日本ですらそうではないのだから、理想的と現実は完全に乖離しており、解決策(=それぞれの立場の様々な解決案と主張)は無限に生まれてしまう。

銃器犯罪が増えつつあるとは言ってもアメリカの現状よりは遙かに平和な日本の場合は、やはり誰だって「銃規制」を発想する。ところがアメリカのように善意から悪意まで含めて誰でも拳銃を持っていて不思議ではない社会では単純素朴な銃規制という発想は理想論でしかない。日本に於ける夜道の通り魔が使う凶器は自らの拳(こぶし)かナイフだが、アメリカなら拳銃かナイフである。数年前に日本の警察は凶暴犯対策用に(タカ&トシなら「戦国時代か!!」と突っ込みを入れたくなるに違いない)刺又(さすまた)を導入した(学童保護のために小学校などにも備品として用意されている場合があるらしい)。刺又や長刀(なぎなた)や槍はナイフなどには有効な対抗手段だが、銃器には無力なのは言うまでもない。ハリウッド映画では犯罪者の方が強力な武器を持っていてベテラン刑事が嘆くシーンがあるが、事ほど左様に日本とアメリカでは事情が余りにも違いすぎる。

つまり、日本なら警察が本気になれば秀吉の刀狩りあるいは天然痘の根絶に近いことが出来るかも知れないという「可能性の余地」が無いではないが、アメリカのように国中に1億2000万丁の銃器が存在し、しかも(解釈上の問題は色々あるらしいが)憲法で銃器の保持が認められている国においては民間と犯罪組織に於ける銃器根絶は絶対に不可能なのだから規制と言ったって自ずから効力には限界があるわけである。

さらに。長崎市長銃撃事件に使われた拳銃は5連発のリボルバーだがバージニア州立大学で使われたのは新品のグロックである。グロックやシグザウエルは例えばダイハード2でブルース・ウィルス扮する我らがヒーロー刑事が空港内での銃撃戦で相手の拳銃がそれであることを知って一緒に戦う警備員に「相手はプロだ」と判断させるにたるような銃である。つまり、チンピラが使う「サタデイナイト・スペシャル(安価に手に入る安物のリボルバー)」とは違うのだ。グロックのような9mmのオートマティックの威力は凄まじいし、ひとつのマガジン(弾装)で10数発を連射できる(禁止になったが発売当初は16連装のマガジンが売りだった)。つまり、日本の本物のヤクザ(犯罪のプロ)が使ったのは旧式の拳銃(=サタデイナイト・スペシャル)であり、アメリカの素人が乱射したのは高級オートマティック銃なのだ。アメリカと日本でのそれぞれの入手価格(勿論、日本では非合法手段での相場)は当然、日本の方が高いだろう。これはつまり新品のポルシェより中古のカローラの方が値段が高いというような話である。とにかく、日本とアメリカでは銃器事情が違いすぎるのである。

と言うようなわけで、日本人がアメリカの銃器問題を語ることには無理がある。(比喩としては最低だが)アメリカ人が「日本人が音を立てて蕎麦をすするのは品がない」と批判しても何の意味もないのと同じようなことになってしまうからである。

同じ論旨で言えば、平和ぼけの日本人は、イスラム原理主義によるテロや、Fundamentalismにより州によっては進化論と一緒に天地創造物語を教えなければいけないアメリカを語ったり批評したり批判したりすることはとても難しいと言うことである。しかし日本国憲法は日本人の問題である。なのに最初に浮かぶキーワードは「無関心」なのは何故だろう?
CASIO Exilim EX-Z55 MacBook Pro
猫 チンチラ 来夢&来喜
←
←
↑
→
↑

MacBook Pro
iPod and iPhone
Mac OS X
Tips of Macintosh
レシピ, recipe
書籍, 本, books
映画鑑賞, 洋画, movies
旅行, トラベル, travel
七不思議
Guitar, ギター
Bass, ベース
Effector, エフェクター, ペダル
Tips of Guitars
pageBack
http://company.insight-dp.com/ http://murmur.insight-dp.com/
(c)insight, inc. All Rights Reserved.
無断転載複写を禁ず