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Macintosh Plus
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今はなき雑誌:Mac+Cyber 1988年No.11(10月号)より
MacPlusの隣は富士通オアシス30AFII
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筆者の人生は5台のMacPlusを一度に導入したときからおかしくなった。まったくもって毒林檎とは良く言ったものである。それはさて置き。
ワープロ創世期からオアシスを導入した筆者は、しかしパソコンとは全く縁がなかった。これは第一に年代的な問題である。何故なら大学時代にはまだ世の中にパソコンというものは存在しなかったんだから。しかし、その手の物には興味がある方だから、ワープロはすんなりと手に馴染んだ。しかし使い込めば使い込むほど、ワープロの限界も明らかになる。そんな時にNIFTY SERVE(当時。今の@nifty)に入った。オアシスは富士通であり、NIFTY SERVEは富士通と日商岩井の合弁会社であるから、パソコン通信だけで無くワープロ通信も出来ますというのが売りだったからである。
しかし面白いことに、NIFTY SERVEに入ったらMacintoshは凄いという話ばかりではないか。こっちは名前ぐらいしか知らなかったわけだから、早速、Mac系のフォーラムで情報を集めだした。
そしてNIFTY SERVEに入ってから僅か1年後の1988年8月にMacPlusを購入することになった。当時のMacPlusは「パソコン界のポルシェ」と呼ばれており、今から考えれば想像も出来ないほど高価なマシンだった。
しかし今まで全くパソコンと縁の無かった筆者としては、とにかく導入するなら考えられる最も短い時間で一気に習熟してしまいたい。となるとMacに触れる時間を可能な限り増やすしかない。
と言うわけで、銀行から借金をして、いきなり5台のMacPlusを導入したのである。キヤノン系の二つの代理店に値引き競争をさせて、最終的には2台と3台に振り分けた。
なんで5台かと言えば、筆者は会社と自宅で24時間使い、後の3台が残りの社員用と言うことである。
MacPlusはモトローラMC68000/8MHz。メモリーは最大限に増設したが、それでもたったの4MB。しかしNEC/PC98シリーズなどならメモリーは640KBだった時代である。これにシーゲートの60MBのHardDiskを付けて、しめて1セットがおよそ95万円。5台だから500万円弱である。
今から考えれば全く馬鹿なことをしたものではあるが、しかし、確かに計画通り、あっと言う間にMacに習熟したことだけは確かだった。
それまで使っていたオアシスの場合、使えば使うほど、画面の奥には灰色の作業服を着た真面目な富士通のエンジニアの顔が想像できた。なんたって、起動画面が「作成・更新・印刷・補助」の4行である。遊び心など全くない技術系が作った機械であり、画面のどこにもデザインという概念など微塵もない。
これに対して、MacPlusを操作すると、デスクトップ・メタファーを駆使したいわゆるアイコン画面を通して、その向こうにはカリフォルニアの青い空が拡がっているのがしっかりと見通せた。まるでコンセプトが違ったのである。シリコンバレーの文化を肌で感じることが出来たのである。画面の隅ずみまでデザイナーの手が入っていることが実感できたのである。
しかし習熟すればたちまちにしてMacPlusの遅さが気になり出し、MacIIに手が伸びるのも時間の問題ではあった。
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Macintosh SE/30
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MacPlusの次に買ったのではなくて、筐体の区分でこちらのページに入れている。
MacSE/30を初めて見たのはサンフランシスコのMacWorld Expo会場。当時自分が使っていたMacIIと比較してびっくりするような処理速度とコンパクトで精緻なルックスに感動。
その後、国内発売と同時に購入した。80MBのHardDisk付きで確か85万円ぐらいだった。
自宅の書斎にぴったりマッチし、殆ど電源も切らずに愛用した。MacSE/30が現役だったのはNIFTY SERVE(当時。現・@nifty)/FCARのSysOpとして填りに填っていた頃だから、毎晩のチャット(NIFTY的に言えばRT会議)も全て、このMacSE/30で行っていた。
MacSE/30は恐らく一番長く現役で使ったMacであり、Macの歴史の中では間違いなく名器の一つであると言える。
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