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2014.11.02[土]更新
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■ 愛車 No.01
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日産チェリー X-1
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発売当時のやけに勇ましい日産の広告。ちなみに筆者のチェリーのボディカラーは白。この広告で思い出したが、チェリーは当時としては色々とドレスアップ系の純正オプションが揃っていたのだった |
元々我が家には自家用車は無かった。うちの親が運転免許を持っていなかったからである。であるからクルマへの憧れは子供の頃から非常に強かった。となると当然、18歳になった高校三年生の夏休みになると真っ先に向かったのが今でも目黒にある日の丸自動車教習所。但し今みたいな妙な建物ではなかったが。そして、せっせと毎日通って卒業して鮫洲へ行って無事免許を取得した。しかし家にクルマはない。だから練習できない。そこで友人の家に行き、営業用のサニーのライトバンで練習させて貰ったりしたものである。しかし日常的に運転できないわけだからちっとも上達しない。大体、教習所を卒業するときに、教習所の校長先生が「今日まで習ったことは全て忘れてください。実際の路上の運転は全く違います」と断言したぐらい、教習内容と実際の「流れに乗る運転」は違うのであるから。そして苦節4ヶ月(大袈裟)、忘れもしない免許を取得した年の暮れの12月29日に日産チェリーX-1がやって来た。 |
そもそも何でチェリーにしたかと言えば、当時の筆者は自動車の知識の一切をカーグラ=小林彰太郎から得ており、そのカーグラが画期的であると絶賛していたからである。
これが間違いの元であった。
今になってみれば当たり前のことなのだが、大体、カーグラが推奨するクルマがベストセラーになったことは過去も現在も皆無なんてことは当時は夢にも思わなかったのである。いや、単に気が付いていなかったと言うべきか。 |
さて、チェリーは日産初の前輪駆動車であったが、基本設計に著しい無理があった。エンジンはサニーで定評のあった「DOHCのように回るOHV」ことA12を前輪駆動用に改造したものであったが、前から吸って横に出すという冷却系のレイアウトに無理があり、とてつもなくうるさいクルマだったのだ。また駆動系もノーマルとは言えず、クラッチ操作が異常なまでにデリケート。これが初心者である筆者には非常に辛かった。つまりスムーズな発進が出来ないのである。しかし動力性能だけは初心者にとって充分過ぎるほどに凄まじかった。だから慣れてからは、このチェリーで無目的ひとりドライブなどを敢行し、また親戚のおじさん(うちの母親の弟。数年前に亡くなった)にダブルクラッチを習い、とにかく暇な時間はずっとチェリーと過ごした記憶がある。 |
しかし塗装は薄く、貼ったステッカーを剥がすと塗装が一緒に剥がれちゃったりとか、内装はがっかりするほどシンプル=と言うよりは、単にチープであったりとか、その後、チェリーというクルマが消滅したのは当たり前であると納得する出来ではあった。 |
このチェリーでは一度、スローパンクチャーが原因の恐怖を味わったことがある。首都高速を荏原で降りようとしてカーブにさしかかったら、いっきなりお尻を振りまくったのである。しかもこの時は老夫婦の運転する普通のブルーバードを追い越した直後。それでもなんとか体勢を無意識的に立て直して、降り口の先の信号で停止したのだが、暫くして追いついてきて隣に並んだ老夫婦の鳩が豆鉄砲を喰らったような表情は今でも憶えている。彼等は目の前で(確実に生まれて初めて)派手なテールスライドを見たわけだからびっくりしたのも当然なのだった。 |
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