この当時=多分、1985年頃=世の中はいわゆるバブル期であり、世間では白いマークIIとクラウンが飛ぶように売れていた。何たってそれぞれ月販2万台である。この年、東京都内で一番売れたのはなな何と白いクラウンであった。バブル期にはカローラでは安価すぎたのである。東京生まれの東京育ちである筆者は基本的には日産ファンであり、トヨタは最初っから嫌いである。第二回日本GPのポルシェ904(生沢徹) vs 日産R380、第三回日本GPのポルシェカレラ906(滝進太郎) vs R380の対決の時には、それぞれポルシェを応援したけれども、それ以降の日産ワークス vs トヨタワークスの戦いについては断然日産を応援した口である。
だから世の中のマークII馬鹿売れムードは全く無視していた。 |