2001.08.10[金]
Cherry
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BluebirdU
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2000GT
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Civic
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Alfetta
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CelicaXX
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2002
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Prelude
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Rattata
2000RS
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Laurel
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MkII
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MkIIGT TwinTurbo
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Cresta
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Roadster
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MkII
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Lucida
■
愛車 No.02
日産ブルーバードU1800SSS-E
グリルを外してDIYでシルバーホワイトに塗装。まるで雰囲気が変わる。ところで、このナンバー「13-95」は気に入っていた。なんたって「いざ急行」である。
チェリーは1200(実質はリッターカー)クラスであり、家族で出かけるときには狭い。だから1クラス上をと言うわけで買い換えたのが(実際には1.5クラス上になるが)ブルーバードU 1800SSS-E。いわゆるブルU。今のマキシマの先祖。
SSS-EのEは電子制御燃料噴射装置を意味し、これは当時国産初。しかもボッシュのものをユニットごとそのまま搭載していた。エンジンは今となっては悪名高いL18。高回転でカウンターバランスが取れていないと言う極悪の欠陥商品。
そんなこととは露知らず、またチェリーと比べれば圧倒的段違い的高級車であるから大喜びで乗り回した。買ってから三日目で1000km点検を済ませ、直ちに友人4人と台風の中を『東京 → 浜松 → 佐久間ダム → 飛騨高山 → 糸魚川 → 氷見 → 新潟 → 秋田 → 十和田湖 → 青森 → 岩手 → 三陸海岸縦走 → 仙台 → 日光 → 常磐ハワイアンセンター(予定より早く帰京になりそうだったので立ち寄っただけの話)』と超高速で駆け抜けたりとか、大学生であるのをいいことに日本中を走り回った。
東北旅行中に道を間違えて困っているところ
グリル塗装前のオリジナル状態
志賀高原へスキーに行くときの車中
自分でフロントグリルを外して銀色に塗装したり(こうするとまるでポンティアックのようになる)ホイールキャップを外して鉄板ホイールも銀色に塗装したりとか、そう言うことも楽しんだ。
このブルUでは三回死にそうになった。
最初は大学のクラブの合宿所がある葉山へ行く途中の横浜新道。アクセル全開で追い越しを掛けたその瞬間、エンジンがいきなり止まったのである。咄嗟にクラッチを切ってエンジンブレーキが掛かるのを避け、そのまま惰性で追い越しを敢行してから左車線に戻り、走りながらエンジンを掛け直した。そして、また追い越し(当時の筆者の運転中のポリシーは「前にいるクルマは全て抜く」であった)。しかし、またエンストが起こる。こんなことが葉山に着くまでに10回以上起きた。
最高速近くで追い越しを掛けている時にいきなりエンジンが止まると言うことがいかに恐ろしいか(だったら、また懲りずに追い越しを掛けるなと言われそうだが)は、経験しないと分からない。こりゃたまらんと言うことで数日後に日産に持っていったが、工場では再発しない。つまり原因不明。そこで知り合いに紹介して貰った本来は外車専門の一の橋にある町工場に持ち込んだら、多分、燃料系のオーバーヒート(パーコレーション。燃料パイプ内で熱のために気泡が出来ること)だろうと言うことでサーモスタットを違う温度特性のものに取り替えたら二度と再発しなかった。
つまりボッシュ製をそのまま搭載していたから、ドイツと日本の気候の差に対応できなかったのであろうと推測される。
某私大広告学研究会葉山合宿所の中の神社の鳥居の下での記念撮影。手に持っているのはチェリーのハンドル。何故か帽子を被ってジャケットを着て運転手さん気分と言う訳の分からない設定
二度目は冗談にならない。
知人を送るために荏原から首都高に乗った。そこから先しばらくはガードレール1本で対向車線があるような感じになっているゆるいカーブが続く区間がある。その対向車線をふらふらと蛇行するトラックがこっちに向かってきたのである。明かな居眠り運転。そして、筆者のブルUの200mぐらい先でそのままガードレールに斜めに激突した。次の瞬間、トラックの積み荷が全てこっちの車線に飛んできた。相対速度はざっと150km/h。積み荷はリングマグネット。早い話が鉄の塊。分かりやすく言えば、目の前で大砲のような散弾銃をぶっ放されたようなものであり、トム・クランシー風に表現すれば集束爆弾(クラスター爆弾)の直撃を喰らったようなものなわけで、これは全く避けようがない。
この時、ブルUの前後には5〜6台のクルマが居たが、悲惨だったのは先頭車両。リングマグネットを入れてある木箱ごとフロントガラスに突っ込んだ。この場合は集束爆弾ではなくて大砲の弾の直撃。筆者は少し後方だから散弾銃で撃たれた状態。一瞬、目の前が真っ暗。
そして目を開けたらフロントガラスが無い!! なんにも無い!!
急停車。ざざぁ〜〜っと滑る。何故なら路面は砕け散ったリングマグネットで砂利をばらまいたような状態だったから。
ブルUのフロントを見ると、ヘッドライトの所には真っ黒な穴が四つ。バンパーとナンバープレートは板金したように一体化している。しかし幸い、筆者は左の二の腕に小さな切り傷が一つ出来ただけだった。同乗者は後席に座っていたので、これも無事だった。助手席にはガラスが消滅した後に飛び込んだのであろう、無傷のリングマグネットが落ちていた。これは今でも記念に保存してある。
その後、現場検証などを済ませてから自走できるのでそのまま首都高を走って前述の一の橋の整備工場に向かったわけだが、この時わかったことはクルマというものはフロントガラスが無くても、サイドウインドウを開かない限りは全く風が入ってこないと言うこと。内圧が上がるんですね。そして料金所ではフロントガラスの無くなったところから料金を払ったら、料金所のおじさんが唖然としていた。
この事故の修理には2週間ぐらい掛かったが、それからこのブルUを手放すまで、急停止時あるいは悪路などでのバウンド時にはどこからともなくフロントガラスの破片がぽろぽろと落ちてくるのには参った。
そして三度目の正直。
上記の事故から一ヶ月後。例によって葉山の帰り。第三京浜をかっ飛ばしていたら下手な奴が突っかかってきたので簡単にちぎってやった。ここまでは良い。で、環八に降りた。この日は妙に環八の流れが速く、しかも車線は一杯だった。ブルUはセンターラインよりを走行。そして暫くして、ブルUの前の前に居たキャデラックが急に右折ウインカーを出して止まった。すぐ後ろ(つまりブルUのすぐ前)のライトバンが慌てて止まった。筆者も慌てて止まった。
この瞬間、ひょっとしてひょっとするととバックミラーを見ると、さっきの下手なクルマが猛然たる勢いで迫ってくるのが視認できた。とっさのアドレナリン分泌的な対応で首を横に曲げてヘッドレストに押し付け、手足はハンドルとブレーキペダルで突っ張った。むち打ち対策の緊急避難姿勢である。次の瞬間、どっかぁ〜〜〜んと真っ直ぐにまるっきりブレーキも踏まずに追突された。
ブルUは押し出されライトバンに追突。いわゆる玉突き。原因を作ったキャデラックは右折して行っちゃった。
車から降りると、後ろの馬鹿は運転席でぴくっぴくっと痙攣している。すぐ横がガソリンスタンド、さらに徒歩1分で交番なので事故処理は速やかに進み、もちろん、筆者と前のライトバンは一切過失がないことが証明された。その馬鹿がなんと幼稚園の同級生だと言うことが後で分かったが、保証他一切手加減せず。当たり前である。
この結果、我がブルU君は前後長が短くなり、ワイドなフェンダーになった。しかし自走は可能であり、そのまま帰宅し、しかも用事があったので、そのまま葉山に取って返したのだった。見送った親も呆れていたが出迎えた後輩連中にも呆れられた。
しかし幾らなんでも貰い事故が二回続いたし、この手の追突を喰らったのでは完全には修理不能であるから、とても気に入っていたけれどもブルUは買い換えることになったのだった。
大学の夏休み。軽井沢の友人の別荘にて